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バイの僕でも最近のLGBTQはキモい
(このnoteの内容は僕個人の意見です。)
どうも。サラブレッド脳筋です。
僕の初恋は同性だった。小学生の頃、聡明で生意気なクラスメイトを好きになった。
正直、自分が想像していた恋愛とは違ったが、芽生えた気持ちが恋であることは、幼いながらもすぐに分かった。
自身のセクシュアリティや将来について、最も思い悩んでいた頃から、10年程経つ。僕は成人になったし、社会もかなり色を変えた。
地裁での同性婚の違憲判決が新聞の一面に載るなんて当時は考えられなかったし、今やLGBTQという言葉を知らない人はいない。
言わずもがな、僕もLGBTQ当事者の1人である。
しかし当然同性婚やLGBT保護法に強く賛成するか、と言われると案外そうでもない。
まず、LGBT保護法
特別詳しい訳ではないが、主にトランスの方々を保護する法律に見える。
謝った認識があるかもしれないが、「私はトランス女性です」と宣言した変質者が女湯や女子トイレに潜入するリスクがある、というのをよく耳にする。
変態が優遇されうる抜け目があって、マジョリティ(特にストレートの女性)の平穏が脅かれるのはダメでしょ……とは思う、し、これに関しては大多数の人がそう思うのではないか。またその状況での最たる悲劇は、本当に性自認に関して悩んでいる人が結局一番偏見を受けてしまうことだと思う。これでは本当に本末転倒である。
大人の事情はよく分からないが、もう少しいいやり方があるんじゃないの、とは素人ながらに思う。
次に、同性婚
これに関しては、かなり考えが変わった。
正直どうでもいい。
これはおそらく、今僕が異性の方と交際しているのが大きな理由だと思う。
「どうでもいいわ」
というのは、非常に無責任で暴力的な言葉だ。所詮対岸の火事であり、喫緊の課題ではないと感じている証左だ。
同性の元恋人を憎んで別れた。そして、異性のパートナーと出会うことで、自分は味方が多い陣地に転がり込めた。ただそれが故に、同性愛自体に嫌悪感を抱く。そんな自己中心的な理由もあるため、自分の浅はかで醜い部分が少し嫌になる。正直なところ、同性のパートナーがいた頃は、同性カップルの結婚式のショート動画を見て胸をときめかせていた。ので、どうしても自分の軸から抜け出して物事を推し量ることは難しい。
LGBTQは、性というテーマの特性上、性癖や嗜好との区別が難しく、批判を受けやすい側面もある。ただ僕は、その上で、半裸で虹の旗を振ってパレードをする人達や、両者ウェディングドレス姿で神聖な教会を闊歩する人達にやはりどうしても違和感を覚える。
個人的に楽しむのは十分だが、その認容を、観客に、通りすがりの大衆に強く求めないで欲しい。
多様性多様性多様性、虹色虹色虹色、多様性に舐め尽くされそうな社会は嫌だ。多様性に違和感を覚える、そんな価値観も多様性の一つではないか?
性に関わらず、どんなカテゴリの人間に言えることだが、皆もっと慎ましくあるべきだと感じる。