連載小説【正義屋グティ】 第3話・暗黒時代(大型リニューアル済)
ー本編ー 3.暗黒時代
「だ、だれですか?」
先ほどまでの血気盛んなグティとは違い、目に不安の色を浮かべると足音のする方を凝視した。
「お前は、あのクソガキ」
音の主は携帯電話のライトを頼りにこちらに向かってきたクロムだった。彼もまたグティと同じように正義屋に庇われたらしいが、その足は流血し引きずられている。クロムは座り込んで何も言葉を発しないグティの傍へと寄ると、その足元で倒れている髪の長い女の正義屋の頭を蹴り上げ、「お前らがしっかり守んねぇから、俺は足を怪我したんだぞ!」と、怒鳴りつけた。
「……は?」
グティは口を開け、置物のように動かなくなった。クロムはそんなグティを無視して、次々と倒れている正義屋を蹴りつけては、怒鳴り声をあげる。だが、正義屋は声一つ上げない。いや、上げられないのかもしれない。背後からするクロムの声はグティの脳裏から一年前の惨劇を蘇らせた。
「あぁぁぁぁぁあああああ!」
水の中に顔を埋めたグティの叫び声は簡単にクロムの耳へと届いた。
「なんだよ、急に叫んで。……やっぱりお前も腹が立つか、正義屋のくせして俺をこんな目に合わせるなんてって」
クロムは意地悪な顔をしてグティの肩に手を置く。
「どいつもこいつも、正義屋だからって……うるせぇよ」
いつもなら聞こえないようなグティのか細い声にもクロムは顔を歪める。この地下空間では『小声で叫ぶ』という矛盾が成立してしまうのだ。
「この俺に、何か言ったか?」
「言った。命に代えて守ってくれた正義屋を蹴るなんて、カスみたいな真似をするなって」
「カス……だと?!」
クロムは今まで使ってはきたが、生まれて初めてその言葉を使われ目を丸くした。それも、同い年の小汚いガキに。クロムは自分の知らない別の意味でもあるのだろうか、と頭の中の辞書を読み漁るが、一向に見つからない。クロムは振り返ってこちらを蔑視するグティの顔を睨むと、青筋を立ててグティの顔面に思い切り殴りかかった。
「うっ」
威力はそこまでなかったものの、音が反響するせいであたかもとんでもないパンチを食らったように錯覚したグティは少しよろけた。
「痛くない」
強がった。子供だとは言えゼロ距離で顔にされたパンチが痛くないわけがない。が、グティのこの作戦が功を奏したようで、クロムはその迫力に後ずさりをしようとすると、倒れている正義屋の体に足を躓かせ盛大に転げた。ダンッ。水の上に倒れこんだクロムは手に持っていた携帯電話を放り投げ、打ち付けたわき腹を両手で抑えた。水の中に沈んだ携帯電話は、さらに大きな光で神秘的な地下内を照らす。想像の何倍の広さだった地下を支えるいくつもの柱には、大昔に描かれたであろう絵が無数に彫られており、グティ達はちょうどその中心にいた。クロムは急に広がった視界に怯えながらも、返事のない正義屋の首根っこを掴むと、「おい、お前!どこに拳銃を隠していやがる!言え!」と空いた手でその頬を何回もぶった。
「こういうやつの事を言うのか……『間違った人間』って言うのは」
「なんだと?!」
暫く黙っていたグティはぽつりとそんな言葉を投げた。クロムは、相変わらず正義屋への攻撃を止めない。グティは地面から沸々と湧いてくる怒りの感情を、到底抑えられる気がしなかった。いや、この際抑える必要などないのかもしれない。左手で片目を隠し、呆れかえったグティは歯を食いしばり、まるで動物のような唸り声を上げる。
「おい、なんなんだよ。気味の悪い声を出したって、俺は……俺は……」
調子のよかったクロムの口は突如として回らなくなった。そして、忙しそうに振りかざしていた手を無気力に水の中に突っ込むと、口からタラリとよだれが垂れている事にも気づかずに、こう一言呟いた。
「オオ……カミ?」
その直後、クロムの口元に何か鋭利なものがぶつかり、過ぎ去っていった。
「え?」
クロムは違和感の感じた口元に手を当て見てみると、そこには切れた皮膚から噴き出た血がべっとりとついていた。
「おい、クロム……」
頭上から、低い声が聞こえてくる。
「はい……」
「俺は、『間違った人間』を許さない」
「はい……」
もうそれしか言えなくなってしまったクロムはとめどなく流れる口元の血をほったらかして、恐る恐る真上を見上げた。すると、こちらを見つめていたのは黒い毛皮にクロムの返り血をつけた一匹の狼の緑色に光った二つの眼球であった。
「うぁあああぁああああ!!」
クロムは、水の張った地面にうつぶせになり、石で造られた模様入りのタイルをバンバンと殴り助けを乞うた。
「俺が、俺が悪かったから!誰か!助けて!!」
「ははははっ。みっともないな、本当に」
黒の狼は左手で片目を隠し、きらりと輝いた長い爪を空に掲げると、相好を崩しその手を振り下ろした。
バンッ
鈍い音が地下内に響き渡った。が、それは狼の攻撃ではなく、瓦礫を除去し地上から狼の肩を狙撃したラギによるものだった。
「うがぁあああ!!」
狼は遠吠えを上げて地面に横たわると、不思議なことに浅いはずの水面の下へと沈んで行ってしまったのだ。
「な、何が起こったんだ」
血まみれな顔を包帯で抑えるクロムは、救助しに来たラギの横顔に向けて問いかけた。
「私からは回答を差し控えます。ただ、一つ願望を伝えるとすれば、この事をあなたの国の方々には知らせないでほしいです。この、不可解な少年についても……」
上半身裸になったラギは、動かない正義屋の脈を一人ずつ確認して回りながらそんな曖昧な答え方をする。クロムは光が漏れ入る空を見上げ、未だに衰えないデモ隊の声に耳を傾けた。その足元にはラギの血まみれになった制服を被って、気持ちよさそうに寝ているグティの姿があった。
半球の星、アンノーン星。その容姿は球の側面部分に『海』と呼ばれる塩水の貯水庫があり、その上に大きな5つの大陸が巨大な船のように浮かんでいる(断面部分にも海はあるといわれているが、未開の地)。大陸の位置は北東、南東、南西、北西、中央にあり、それぞれホーク大陸、グリーム大陸、リブラ大陸、ワスプ大陸、コア大陸という名前がこの星を創造した『神々』の名にちなんで付けられている。中央大陸を除く四大陸は一つの大陸で一国だが、中央のコア大陸はその周辺に散らばる島国の連合諸国によって形成されており、平和の象徴とも言われていている。
先ほど少し触れた星の『神々』についてだが、五つの大陸に一人ずつ存在し人間を超越した存在であることから、この星を作った神々と崇められている。実際にアンノーン星の古い歴史書にも彼らの名前があるため、少なくともその五人は不死だということは確実だ。これを世の人々は『五神伝説』とよぶ。しかし今から200年ほど前の2800年頃からは、人類の技術力が大きく進歩したことによって今まで力では勝てっこなかった『五神』相手に牙をむく者も出現するようになる。そして『五神』の存在によって保たれていた世界の均衡が崩れると、それから今まで人類が国単位での争いを頻繁に行うようになり、このような混沌とした時代を人々は『暗黒時代』と呼ぶようになった。その時代の波は現代でも収まることはなく、コア大陸では20年ほど前からコア様が行方不明になっており、中央大陸連合諸国の指揮を下げることを目的とした者達の仕業ではないかと囁かれている。そんなコア大陸の連合諸国で最も発展している国がグティの生まれ育ったカルム国である。カルム国が発展した理由はいくつかあるが、最も大きいのは子供の頃からの厳しい競争社会だろう。カルム国では子供の時から『夢を持たない奴は国の汚れだ』と教えられていて、その『夢』を探す為5歳から12歳まで国民であれば強制的に『総合分校』と言われる政府が設けた一般的な学力を身に付けるための施設に入学させられる。そしてそこで身に付けた学力を生かし、応用して自分の将来の夢を見つけ、それを達成するための職業の養成所に入学する。その試験日が12歳の時のカルム国建国記念日である。だがみんながみんな夢を持っていたり、自分の希望した養成所に入学できるわけではない。入学試験に不合格だった者や、そもそもどこも受けない少年少女も存在する。そのようないわゆる『出来損ない』たちを少しでも国の役に立たせようと政府が作った組織が『正義屋』だった。『正義屋』は聞こえこそいいが蓋を開けてみると自分の『正義』をそれぞれ心に秘めた単なる国の雑用係である。国の治安維持、町中の清掃、敵国との戦争などと様々な役割が存在する。そして政府は見せしめとして正義屋に勤めている職員の髪色を赤に指定し、養成所生を青色と細かく設定、さらにはその身分を極めて低いものとして扱うようになった。
ここからは、クロムがペザー国立宮殿にやってきた二年後の世界の話である。
♢
3013年 正義屋養成所(首都校)
養成所入学から五か月が経ち、島国のカルム国ではどこにいようがジメジメとした熱気が襲ってくる季節になってきた。町中からは少し離れ、小さな山の中に存在するこの養成所には今日も柔らかな朝日を浴びて靴を鳴らす一人の少年がやってきていた。
「今日は全然余裕だな」
少年はゆったりとした足取りで木陰の下を通過すると、玄関に立てかけられた時計に目をやる。木でできた下駄箱に無造作に置かれているいくつかのスリッパの中から自分の物を見つけ乱暴に床に叩きつけると、それを足につけ所々に窓ガラスにひびが入っている廊下を通過し、扉の前に立った。ドアにつけられた小窓から中の景色が見える。少年は制服の襟を整え、背伸びをすると、無駄に音のでかい扉を開け教室に入った。
彼の名はグティレス・ヒカル。この先、この暗黒時代最盛期の渦に個性豊かな仲間と共に飛び込み、かき乱していく、今はまだ正義屋の卵である。
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