あとで読む・第34回・大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社学芸文庫、1988年、初出1971年)

つい最近、知り合いと大江健三郎の話題が出たとき、そういえば私は大江健三郎さんの小説を、一度もちゃんと読んだことがない。いつも後回しにしていたことを思い出した。
大江健三郎さんで印象に残っているのが、15年くらい前に「伊集院光 日曜日の秘密基地」というラジオ番組で、大江さんがゲスト出演されて、伊集院光さんと対談したときのことである。このときの対談は、私にとってじつに心を揺さぶられるものだった。
大江さんが映画監督の伊丹十三さんと松山東高校時代からの親友であり、かつ伊丹十三さんの妹が大江さんのお連れ合いであることは有名な話である。
そのラジオ番組で、こんなことを語っていた。曰く、
自分は伊丹の映画を観ても感想を言ったりすることはないのだが、1997年公開の『マルタイの女』(結果的に遺作になってしまった)を観たときに、感想を言いたくなり伊丹に電話をした。具体的にどこがよかったかをいわないと伊丹は満足しないので、印象に残った場面を語ることにした。
「映画の中で小太りの刑事が出てくる。彼は愚鈍で繊細で、周囲の人からみたらちょっと扱いにくい刑事である。その刑事が、田んぼの真ん中にあるカラオケバーに捜査に入ったところ、世間を騒がせているテロ犯がカラオケを気分よさそうに歌っている。刑事は何度も手配写真とそいつを見比べながら、いったんトイレに入って気持ちを落ち着かせ、トイレを出てその犯人に飛びかかる。決死の格闘の末、カラオケバーのドアを突き破って水を張っていた田んぼに落ち、それでも死闘を繰り広げ、ついに犯人を逮捕する。そして次のシーンでは、泥まみれになった犯人に、小太りの刑事がホースで水をかけて泥を落としている。そこからさらにカメラが引くと、その刑事をカラオケバーのホステスがホースで水をかけて泥を落としている。この一連の場面が一編の短編小説のようでとてもよい。あの俳優はだれ?と聞くと、伊丹は満足げに『伊集院光だよ』と答えた。それが、僕と伊丹が交わした最後の会話です」
と、目の前にいた伊集院光さんにおもむろに語りかけたのだ。もし私が伊集院光だったら、その話を聞いて泣き崩れてしまうだろうな、と思うほどの不意で巧みな語りだった。伊集院さんはさすがに喋りのプロで、感動をこらえながらそこからまた話をつないでいった。
私はこのラジオのことを思い出し、大江健三郎さんの小説に何度目かの挑戦してみたくなった。何を読もうか。筒井康隆さんの奇想天外な小説『万延元年のラグビー』ならば読んだことがあるから、『万延元年のフットボール』にしよう。そういえば最近仕事で読んだ文章に、やたらと「万延元年」が登場していたのも、この小説を読めという啓示なのかもしれない。
もうすぐ閉店となる阿佐ヶ谷駅南口の「書楽」で買った。これが最後の買い物かな、と感慨深く立ち去ったら、後日知り合いから、「閉店日は少し延長されるみたいです。そしてその後は新しい書店が入るそうです。阿佐ヶ谷から本屋さんは消えませんよ!」といううれしい知らせが。これからも阿佐ヶ谷駅で途中下車ができる。

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