声に出して読め、ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出書房新社、2018年)
出張のお供に持っていく本を吟味して、ノーベル文学賞を取ったハン・ガンさんの『すべての、白いものたちの』と、もう一冊、別の文庫本の計2冊を持っていくことに決めた。
しかしだいたいは、出張じたいで疲労してしまい、読書する気が失せることが多く、同じことは原稿にも言えて、原稿を書くと息巻いて資料をたくさん持ってきたにもかかわらず、結局原稿が一行も書けずに終わる、というのもお決まりのパターンである。
出張の用務でヘトヘトになり、ホテルにチェックインすると何もする気が起こらなくなる。しかし『すべての、しろいものたちの』は比較的短い本なので、これはなんとしても読んでおきたい。
僕は文芸評論家でも何でもないので、本の批評についてはそちらに譲るとして、僕がいいたいのは、「この本は音読するのがよいのではないか」ということである。
1節1節がとても短く、それぞれがまるで散文詩のようだ。つまり詩を読むような感覚で音読が楽しめる。それもこれも、斎藤真理子さんの訳によるところが大きい。この作品は、相当に象徴性を秘めていて、場合によっては作品の意図するところが難解ととらえられるかもしれない。かくいう私も、そう思って立ち止まったりする。
だが音読をすれば、思考が立ち止まってしまうようなことにはならない。声に出して読めばその文章の心地よさがさらに実感できるし、その意味するところもなんとなくスッと頭に入ってくる心持ちだ。
幸いホテルの一人部屋なので、声に出して読んでもだれに気兼ねする必要もない。そう、考えてみれば出張のときこそ、音読するにふさわしい本を選んで持っていけばいいのだ。
さて、ここから先はまったくの余談。
いくつか興味深い表現を見つけた。
「傷のある手で塩をつまんだことがあった。料理をしていて時間に追われ、指先を切ってしまったのが最初の失敗で、傷口をそのままにして塩をつまんだのは、もっと悪い二つめの失敗だった。文字通り『傷に塩を塗る』という感覚を、そのときに学んだ」(「塩」)
傷に塩を塗るという慣用句は、韓国でも使われているんだな。これは常識の部類に属することだろうか。
「満月のたび、彼女はそこに人の顔を見た。ごく幼いころから、大人たちがいくら説明してくれても、どれが二匹のうさぎでどれが臼なのかわからなかった。思いに沈んでいるような二つの目と鼻の影だけが見えた」(「月」)
満月を見るとうさぎが餅つきをしているという故事は、韓国にも存在していたのか。これもまた常識の部類に属することだろうか。私は今から15年ほど前(2009年)に韓国に1年間滞在していたが、その話を聞いたことがあったかどうか、もはや覚えていない。これは文化の伝播ととらえてよいものなのか、あるいは近代以降の政治的産物ととらえるべきなのか、いまの私には調べる時間がない。