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南錠よだかでIRIAMをはじめた理由
2つ記事をnoteで書いた現在
(なんで この人 こんなにたかが配信アプリにこんな思い入れ強いんだろう?)と思う方もいそうなので 順番が遅くなりましたが今回は理由を書こうと思う。
ざっくり先に言ってしまうと
病気を発症して死のうと思ったから。だ。
疲れた。
うんざりした。
絶望した。
そこで病気の身体でも達成可能そうな
死ぬまでにやりたい事リストを作った中に
「自分の絵を使ってVTuberみたいな配信をしてみたい。」というのがあった。
PCのスペックの問題や
そもそもVTuberになるにはお金も時間も知識もない。
そこで見つけたのが1枚絵があれば配信できるIRIAMだった。というわけだ。
説明が長くなって本題から反れてしまう可能性があるので
あえて病名は伏せる。
病名は伏せたまま、経緯を説明したい。
私の病気は別に直接的に命が脅かされるような病気ではない。
が とにかく訳が分からない病気で
今の医学では原因も不明(遺伝の場合は例外)
根本治療が確立しておらず
対処療法しかないのと
完治がない。(寛解はある。)
たとえ手術をしたとしても対処療法でしかない。
私の場合違和感を覚えてから 凄い早さで病気が進行して
あっという間に日常生活が困難になった。
自分でも今 自分に何が起こっているのか分からず混乱してる中でも続く
毒親、毒身内の精神攻撃。
むしろ弱ってる今だからこそチャンスとばかりに潰しに来るわけで。
加えて 仕事のプレッシャーや
病名が発覚するまでにも何件も病院をハシゴして
病院が分かった時にはボロボロだった。
命が直接脅かされる病気ではない、が
生き地獄だった。
根本治療が確立してない病気ということで
この病気を寛解させられれば自分の病院に箔が付くと思ったのか
地元の病院で数件好奇な目で見られ、タライ回しにもされ 今思い返せば何故?と思うが
下着姿にされ写真を撮られたりもした。
これは本当に検査なのか?
治療なのか?と思うような事をされても
その時は とっくに精神的に限界を迎えていてされるがままだった。
そこでトドメをさされる出来事が起こる。
数年前から通っていた精神科の担当医に言われた言葉だ。
「このご時世、コロナに感染して死なないだけでも勝ち組なんだから。」
「アナタより不幸な人は山ほどいる。
アナタは恵まれている方。」
「また適応障害も併発してると思いますよ?
実際、今、【病名】を受け入れられず適応できてないじゃないですか。」
この言葉がやけにハッキリしっかりストレートに耳奥に聞こえてきて 私は壊れた。
その日から 命に関わるような難病にかかっている方のドキュメンタリーを観たり
震災被害に遭われた方のドキュメンタリーを観たり
コロナで亡くなった方、
ご遺族の方の話を観たり
戦争が起こっている国の話を観たり
(日本の世界大戦真っ只中を振り返ったり、
原爆被害などの過去のものも含む)
1日中そういったものをテレビで垂れ流して観た。
1日中不随運動で身体を痙攣させながら横目で眺めていた。
朝目を覚ましたと同時に痙攣しだしてリボトリールをのんで強制的に眠りにつくまで起きてる間、ずっと。
【この人たちより私は幸せ。
この人たちよりマシ。
この人たちより幸せ。
恵まれている。
私は勝ち組。私は幸せ。私はマシ。私は恵まれている。
この人たちより、この人たちより、この人たちより、この人たちより、この人たちより……】
そう思い込もうとした。
でも同時にこんな思いも頭の中にあった。
【勝ち組って何???
勝ち負けとかあんの???
そりゃ私よりツラい思いしてる人は星の数程いるだろうよ。
でもだからって私も今ツラいんだよ。
ツラい度合いが低いならツラいと思う事も許されないの?
病気を受け入れられないから適応障害?
病名やっと分かってまだ1ヶ月で受け入れられないから適応障害?
何?そんなに皆 一般的に病気受け入れられるわけ?
じゃあお前がなってみろよ、この病気。
この症状。
それで 「まあ仕方ないですよね〜」って今と変わらず同じ事言えんのかよ?
私の代わりにお前がなれよ、お前は受け入れられるんだろ?】
色んな感情でぐちゃぐちゃだった。
特に強いのは悲しみより憎しみの感情だった。
何もかも恨んだ。
目に映る何もかも憎い。そんな状態だった。
割愛するが
なんとか症状のピークが過ぎて
多少不随運動はあるしかなり時間がかかるが自力で日常生活をおくれるまで回復した時
少しだけ心に余裕が出来て思った。
【よし、今のうちに死のう。】
いつまた悪化して日常生活困難になるか分からない不安感から
1年以内にはなんとしてでも死のうと思った。
日常生活が困難になってからは
日常生活が自力でできないわけだから
当然自死すらできない。
自分より不幸な人たちを毎日観てる中で
配信中に明日死ぬ宣言をして
実際次の日の配信で自死しているもの
当時私は闘病アカウントをXで作っていてフォローしていた方がやりたい事リストやり遂げて自死したりなども見ていて
かなり影響を受けていた。
彼らの自死の姿が、命がとても綺麗に見えて
彼らの最期の姿がとても愛しく感じた。
私もせめて最期くらい彼ら、彼女らのようになりたいと思った。
そこで
1年間と決めて
その中で やりたい事リストを達成して
なんとか自力で自死できるうちに逝こうと思った。
その 生きている間にやってみたい、やりたい事リストの中の1つが 「IRIAMで配信」となった次第である。
さて、このように最初は自死するためにはじめたIRIAM、
この後考えが変わっていくわけだが
今回はIRIAMをはじめた理由、というタイトルなので
変わっていく過程は……書けそうだったら書く事にする。
そんな本日10月18日は ちょうど
南錠よだかが亡くなって一周忌。
南錠よだかは亡くなっても
中の人の【私】はまだ生きている。
なんだか複雑な心境である。
そして今現在【私】は自死を前向きに検討してはいない。
どちらかというと生きる事に専念している状態だ。という事を付け加えておく。