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映画『トラペジウム』の感想
トラペジウムという映画を見てきたのでそちらの感想を書きます。
もともとは主題歌の歌手が好きだからって理由で見に行ったんですが、思ったより神の作品だったので記事を書きます。
所感
「東ゆう」
主人公。東の女。
「アイドル」になることを目的に東西南北と名の付くそれぞれの高校の美少女を集めることを画策する。
事前にSNSで見た話だと東ゆうは「クソ女」とか「サイコパス」とか散々な言われようでした。実際公式があげていた動画や予告編でも主人公のヤバさが喧伝されていて、公開前のキラキラアイドル売り含めその辺は意識されたマーケティングなのかなとは思っています。思っていますが……。
実際映画を観た感想として、彼女がクソでサイコかと言われた個人的には全然違うと思いました。
他人の感想で彼女は「下心ありでの人付き合い」をしている点や「人を人と思っていない」という凄まじい評価を下されています。まあ確かに蘭子のことを南ちゃんと属性で呼ぶのは人によってはそこそこ嫌なのかもしれんが……。ただ彼女が人の心とかないのかというと全然そんなことは無く、むしろ自分の夢に向かって懸命に努力する姿は僕にはとても人間的に見えました。
「他人を利用してるだけじゃん」みたいな考えもあるかもしれませんが、東ゆうは多分、本編が始まる前に正統派アイドルとしての努力はやりつくしてるんじゃないかなと思うんです。
例えば作中ではゆうが蘭子に「歌が苦手なら努力をしなよ」と言い放つシーンがありますが、これは彼女自身が歌を努力してものにしてるからこそのセリフだと思うのです。実際、他のメンバーが口パクを推奨される中ゆうだけは実際に歌うことを許可されていました。大分行間を読んだ話にはなってしまいますが、「自分が出来てるのに他のメンバーが出来てないのは努力不足だ」みたいな心理が働いてんのかもなぁと思ってます。
作品見てわかる通り、東ゆうの夢への情熱はもはや狂気です。
作中でも言及されていますが、そもそもが他校に1人で行って人間見繕ったり、番組に乗じるために数か月単位でバイトをやったりってかなりの行動力無いとできません。真司に言われたように、オーディションを受ける方がよっぽど早いし近道です。
で、なんでそれをしないかと言われるとゆうはオーディション全落ちしてるからだと描かれています。僕は彼女のパーソナリティで一番大きかったのはこの部分だと思っていて、おそらく本編時間での東ゆうは「自身のアイドルとしての素質を信じ切れていない、あるいはそれを喪失している」状態なのではないかと思いました。
キャッチコピーでゆうは「1人ではアイドルになれない」ということを言っていますが、これは暗に自分単独でのアイドル力は足りていないということを理解しているからこそ出ている言葉にも思えます。また、東西南北がSNSを始めるシーンでは自分が他のメンバーより人気ないことを気にするそぶりも見られましたが、それ自体を不満に思う様子はありませんでした。
つまり、本編中の彼女は「自分の力を信じられないから、他人の力を借りてアイドルになろうとしている」のかなと。一般的な努力と方向が違うように見えるのは、その方向での努力に限界を感じてしまったからなのではと思うわけです。
思えば作中ではアイドルとしての東ゆうについてはほとんど描かれませんでした。それは彼女の視点で話が進むからというのもあると思いますが、前提として彼女は自身には「なんもない」と考えているからだとすれば腑に落ちます。自分には何もないから他人の力を借りる。自分には何もないから努力を重ねる。この辺はかなり一貫性を感じます。
なのでOPの「なんもない」は本編が始まる前を中心とした彼女の心境なのかと思います。
意地汚く、諦めず、どんな手を使ってでもアイドルになろうとする彼女から見れば、「夢を諦める」なんて行為はあり得ないものにも見えるでしょうし、空に輝く星々はとても美しく見えるでしょう。反面「なんもない」の歌詞からは彼女が目指すものが曖昧になっている様も感じ取れます。それどころか「信じてたものが思ったほどでもない」というチェンソーマンのデンジみたいな言葉も見られます。中盤の崩壊パートで蘭子たちに向けていた言葉は、実は自分に言い聞かせる意図もあったのかもしれません。
ところで、アイドル「東西南北」が崩壊し彼女が一度折れかけた時、古賀から感謝を告げられる場面はとても印象に残っています。近くの女子高生達が将来の話をして、自分も夢を諦める事を考えていた中、自らの行いで救われた他人が確かに存在する事実を噛み締めてその場に留まることを選択するのは、東ゆうという少女の強さを感じました。
東西南北のメンバーも、アイドル自体は好きになれませんでしたが、ゆうとの出会いは喜ばしく思っていました。ゆう自身もまた彼女達との日々は楽しかったと記憶しており、アイドルになってからも関係を続けています。偽物の関係の中にも確かに本物の部分があったわけです。
目的の為に誰かを傷つける方策をとったことは最悪だと思いますが、それでも彼女たちにとってこの出会いはかけがえのないものになりましたし、夢の為に努力を続け諦めず挑み続けた彼女は僕にはとても輝いて見えました。ゆうが母親に「私って嫌なやつかな」と聞いた時、母親は「どちらの部分もある」と言っていましたが、本当にその通りのキャラクターだと思います。
しょっぱなからデカい舌打ちしたときはビビりましたが、なんやかんや見終わった今では一番好きなキャラです。
「華鳥蘭子」
南の女。
お嬢様の雰囲気がある常識人枠に見える金銭感覚ヤバ女。くるみとのカプ売りが熱い。
全体的にほわほわしている箱入りのお嬢様って雰囲気で、実家がクソデカいの見るに多分間違ってないと思う。だからかわからないけど将来に対してとても楽観的でなんでも経験だと考えている節があり、当初は良くも悪くも我が弱い印象を受けました。
蘭子はゆうとはまた違った形で「何者かになりたい」人間だったのかなと思っていて、ゆうの場合はそれがアイドルという形にはまっているから目指すだけだったけど、蘭子の場合は何になりたいかすらわからないというレベルだったのかなと思います。(これは海外に行ったり共学だったりするゆうとお嬢様校に通う蘭子の価値観の違いなのかな)お蝶夫人に憧れつつもあまり実を結んでない辺りが特に。
なので流されて何かになれるならそれでいいし、そうでなくてもよい経験になればということでゆうのやりたいことには積極的に協力してるように見えました。彼女からすると、他校から突然やってきたゆうは非日常の世界に連れて行ってくれる白馬の王子のように見えたかもしれません。
ゆうの計画は当初はかなりくるみの人気にあやかってますが、実際に成功したのは蘭子のおかげって部分が大きいと思っています。実際嫌がるくるみを長らく繋いでくれたのは蘭子ですし、プールも貸してくれましたし。また、ゆうの項で書いた通り南ちゃん呼びはかなり人を選ぶ部分なのですが、蘭子がその辺全く気にしなかったどころか喜んでくれたからこそ東西南北が始まったともいえます。最初の仲間が蘭子でよかった。
なので中盤でくるみが限界を迎えた時蘭子が直接ゆうに立ち向かうところは印象に残っています。それまでの彼女の印象からして、てっきり彼女はアイドル業をそれなりに楽しんでいると思っていたので、彼女の「アイドルは全然楽しくない」という言葉にはゆうと同じくショックを受けました。多分作中で初めて蘭子が我を出したシーンだと思います。
オリジンに立ち返った他のメンバーを踏まえると、最終的に作中で最も成長したのは蘭子だと思います。最後にやりたいことを決めた彼女の姿にはぐっとくるものがありました。相変わらず金銭感覚はヤバそうだけど。
「大河くるみ」
西の女。
萌え袖が可愛い。
もともと所属していたロボット研究会の方でバズっていたらしく、ゆうも西担当はもともと彼女で決めていたらしい。だからかゆうの作戦はくるみの人気やらを利用する前提のとこも多く、ゆうも彼女の攻略を一番頑張っているように見えた。生身の人間を攻略するな。
人気を得る事より普通の高校生らしい青春を送ることの方を重視しているらしく、これは一度バズって厄介ファンが押し掛けたたことがあるからっぽい。くるみは進学を目指しているうえそういった過去があるので、実は最初からゆうの作戦と人格がかみ合ってない。アイドルの才能はあるけど、アイドルには向いてない彼女は「可愛い子はアイドルになればいい」という考えのゆうとの決裂は必然だったと思う。
今思えば文化祭でファンに囲まれて困っていた反面、ゆう達の姿を見てすごく喜んでいたのは彼女のキャラクターを分かりやすく示していたシーンでした。彼女にとっての普通の青春は、つまり友達と一緒に文化祭回ったり一緒に出掛けたりすることだったんですよね。なので話が進むにつれて笑顔がなくなっていく彼女を見てると心が苦しくなるところもあり、そこがゆうがボロクソ言われることの一因にもなってるのかなと思います。
とはいえ理系の高専という環境だからか同年代の同性の友達はいなかったようで、東西南北のメンバー過ごす日常が彼女にとって楽しいものだったことは違いない様子。作中で最も大変な思いをしたのは彼女だろうけど、最も出会いを喜んでるのも彼女なのかなというのは最後の方を見ていて思います。
なので、ラストで彼女が気にしていない素振りをしていたシーンは個人的にもとても安心しました。
どうでもいいけど、くるみのアイドルグッズ売るの尊厳大丈夫?作品に入れ込んでいる人ほど買えない構造になってない?
「亀井美嘉」
北の女。
シスター服着てたの示唆的過ぎる。
主人公とは小学校の時の同級生らしいけど、整形してるからゆうには思い出してもらえなかった。学校の方も上手くいっていないらしく、1人だけグロさのレイヤーが違うとこにいる。
序盤でゆうが集まりを「ボランティア仲間」と称した際、急にキレたのが謎過ぎてビビったんですが、作品全体としてみるとゆうが本心から友達と思っているのかという部分に一石を投じる意図があったのかなと思います。くるみが打ち合わせキャンセルしてた辺り、あの辺から方向性の違いを示し始めてたみたいです。
ボランティアの際にはゆうの顔色を窺ってくるみ達と引き合わせるなどしていました。前述の友達の兼と言い、彼女は他人との関係性やそれを維持することを重視しているように思えます。そんな彼女にとって三周年の彼氏と友達を天秤にかけるのはかなりしんどかっただろうなと。(少しずれますが、彼氏バレの際のメンバーの反応は各々のアイドル業への真剣さの違いが浮き彫りになってて怖いシーンでしたね)
また、終盤では折れそうになったゆうが立ち直るきっかけになっています。
正直なところそれまで他の2人より役割がつかめていなかったので、唯一過去を知る彼女がゆうを立ち直らせる役回りになるのはなるほどなぁと感心しました。
終わりに
最後にタイトルの「トラペジウム」について。
1 不等辺四辺形。どの二つの辺も平行でない四角形。
2 オリオン星雲の中にある四つの重星。非常に高温で強い紫外線を放ち、星雲全体を光らせる。
平行でないということから全員がそれぞれ違う道を歩むことの示唆……とも捉えられますが、逆に言えばそれぞれの線同士は必ずどこかで交わるんですよね。星に関係する用語であることも踏まえ、様々な意味に捉えられるとても良いタイトルだと思いました。
駆け足で書いているのでまとめ切れていませんが、この辺で。
長文を読んでくださりありがとうございました。