【論考メモ】労働によって生を意識できる
仕事は暇つぶしであると言える
労働は暇つぶしにはなり得ない
生きるための労働では暇にはならない、必死に生きるために働くのだ。
働くことで賃金を得る。賃金によって衣食住を満たすことができる。
安心が未来を生む
労働は自分の時間と体力を賃金に変換する。
この変換の仕組みがあることは素晴らしいことだ。野生の状態ではどれだけの時間と体力を使っても生きるための糧が得られないことは当然にある。
変換が保証されていることは人に安心を与える。
安心は定住と未来への計画を支える。
必死に生きることを超える
未来への計画はただ必死にその日を生きることを超える仕組みを生む。
つまり、「必死に生きること」以外を考えるようになる。
必死に生きること以外を考えるとは、他者への視点・第三者の視点を意識することを促す。
他者への視点が生まれることで他者と比較した自己が生まれる。
つまり、このタイミングで人は「自己」を認識するようになるのではないだろうか。
生きること以外を考えることによって自分自身が生きていることを意識できるようになると整理することもできる。
本当に必要なものは目に見えないが、人は目に見えるもののみを追いかけているというのと似ている。
生きていることを意識するためには、生きること以外を考え始めることによって初めて自分が生きていることを認識するようになる。
つまり、労働が生を産む、労働によって人は生きていることを意識することができると言うことができる。