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「死生観」を持つことは、ごきげんに生きること。

ワンシーズンに一回は必ず会う友人Aさん。彼女に会うと、帰りの電車内で「これからは思い切り好きに生きたらいいんじゃない?」と思えるように。

会うたびにAさんは、これからやりたいことがあって聞いている私の方がワクワクしてきます。実現していくための現実的な話だけでなく、そこに向かうための原動力かつ思いがあったかい、聞いていると日光浴しているみたいにポカポカしてきます。

そんなポカポカした状態で、本屋に立ち寄り購入した本。

『死ぬのはこわくない』/和田秀樹/興陽館/2025年

ほんわかした本を買おうとしていたのに、結局こちらを買って帰りました。
「えっ?体調でも悪い?」て夫に心配されそうですが…睡眠不足以外、いたって健康です!

20代の頃に大事な人が亡くなることは経験したものの、自分とは全く関係ないことと思ってしまう死。後期高齢者の両親や叔父・叔母たちが健康でいることも影響してかあまりにも「死」が分からない…だからこそ知りたくなりました。

高齢者専門の総合病院に勤務していた著者が受け止めている「死」の説明が明快。

死が近づいているときに、意識がはっきりしている人はいないので、今、死んでいっているという自覚はありません。
(中略)
ドラマや映画のように、死ぬ寸前に家族を呼んで何かを言い遺すという人をみたこともほとんどありません。
(中略)
のたうちまわって苦しんで死んでいくなどという人も、見たことがありません。
たいていは、生が緩やかに変化していく先で、グラデーションが薄くなって死へ移行するというと分かりやすいでしょうか。

(はじめに)5、6ページより引用

最前線にいた人からすると、「死」は当たり前の日常。一般人の私からすると、あまりに分からないからフィクションの世界を観て、ドラマティックなものだと思い込んでいただけなんだと。この本を読んだだけで「死」が分かったような気になっていますが(笑)何も知らなかったときよりは、もやが晴れています。

そして、1960年生まれの著者は「死」について考えるのなら「死生観」を持つことを勧めています。
「死生観」→自分がどんなふうに生き、死んでいきたいか。

ここで、友人Aさんに話していたことがつながりました!どんなに見た目が老いても自分の足で歩いていたい、最期までなるべく健康に好きなことをしていたいと…話しているときは「死生観」なんて感覚で話していたわけではないですが。

「死生観」を持つことで、ごきげんに生きることも更新、そんな本と出会えました。

#ごきげんに生きる

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ぼぶだりきお(yoko)
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