終わりは始まり。Laufey『From the Start』
昨日、去年の5月から始めたプロジェクトを失敗という形で打ち切ることにした。このプロジェクトを成功させることができたら、職場で私の昇進もほぼ約束されたようなものだったので頑張ってきたけど、どうやっても成功という形には持っていけないことが分かった。いや、実はもっと以前、去年の12月ぐらいにはそういう予感がしていたので、もっと早くやめていればよかったのだ。でも決断ができたのは、2024年3月6日。これが私の精一杯の結果で、昇進も遠のいた。
この決断をしたその直後、どうしたことか私の頭の中にはLaufeyの『From the Start』が流れてきた。
Laufey(レイヴェイと発音する)は、中国系のアイスランド出身の女性歌手で、まるでK-popアイドルのようなキュートなルックスなのだけど、ボサノバのような軽快リズムとディーブな低音のヴォーカルで、可愛らしい恋の歌を披露してくれる。なぜこの曲が頭に浮かんできたのか、まったくをもって説明できない。前に一度Laufeyを聞いていいなぁと思ったことはあったけど、昨日から私はこの曲に夢中で、もう自分は更年期に悩む50代おばちゃんのくせに、脳内はLaufeyのように膝丈ミニスカートのワンピースを着てウキウキとスキップしている自分がいる。
プロジェクトが失敗に終わったのだから、もっと落ち込むべきなのだろう。というか、自分でももっと落ち込むと思っていた。でも私の本能はこの結果を心から祝福してくれているいるようで、何かから開放された喜びしかない。
このプロジェクトが進行している9ヶ月の間に、ちょっとした人事異動があって、私の上司や同僚数人が昇進を果たした。みんなとても優秀で、さらに私よりずっと若い世代の社員たちだ。よし自分も続けと奮闘していたけど、ほんのちょっと体調を崩したのをきっかけに、それがメンタルのほうにも影響してしまい、生まれて初めて体調は回復したのに仕事が手につかないという「鬱」の扉が目前で開いていくことを実感した。
自分も、職場の「昇進組」に混ざりたかった。プロジェクトが進行中そんな気持ちがあった。でも、なんて浅ましくて幼稚な考え方だったのかと思う。昇進って「混ざりたい」なんて軽い気持ちで臨むものではない。そんなことも気がついてなかったくせに、何か年長者のプライドみたいなものだけはあって、それがプロジェクトを長引かせた一因でもあったのではないか。
さて、敗戦処理だ。さすがに昇進組の上司や同僚の前で「私のプライドが邪魔をした」なんて言えないので、とりあえず朝のミーティングでこのプロジェクトは失敗に終わったことだけを伝えたら、案外みんなあっさりと「あっそう」みたいな反応だった。頭の中ではLaufeyの "♪Don't you dare look at me that way~♪"(そんなふうに私を見ないで)と歌う甘い声がこだまする。
それにしても、歌っていいなぁと思う。自分の肉体がどんなに老いぼれていても、好きな歌で体が満たされると、自分の外見などどうでもよくなる。最高に笑えるのは、今50代おばちゃんの体内では、乙女チックな歌姫Laufeyがふわふわと幸せオーラ満開で飛び回っているというのに、会社の同僚や街を行く人々は、誰も私に起こっているホラーなギャップに気が付かないことだ。神が私だけに与えた特権を楽しめるのは今しかない。
Laufeyの『From the Start(はじめから)』は、「はじめから私はあなたが好きだったけど、あなたは私の気持ちに気づきもせず、他に好きな女性ができちゃったのね」という失恋のラブソングだ。とても切ない歌詞なのだけど、曲調は失恋の悲しみより、次にはじまる新しい恋の予感させる。まるで終わりと始まりが同居するような曲だ。
1on 1のミーティングでも上司に改めて実務的な面からどうしてこのプロジェクトが成功しなかったかについて説明しながら、一つだけ今後にも活かせそうな部分があると伝えた。すると上司は「それなら、それを応用して、別のプロジェクトを引き継いでもらえるとありがたいのだけど」と打診してきた。私はLaufeyの音楽のリズムに押される感じで、Yesと承諾した。
終わることは始まりなのだ。会社でどんどん出世していく人たちは、こういうときに悔しいという気持ちが湧き上がって、それをバネにして更に精進していくのだろうけど、Laufeyの歌で小躍りしている時点で私の会社員人生はもう終わっている感じもする。それでも、また次に向かって行動するしかないのだ。終わりと始まりの永遠のサイクルの中で、自分が生きている限りできることを精一杯やる。それしかない。