【第42位 カトちゃんケンちゃん】土曜8時幼き熱狂
こんにちは。ハルリです。
今回は、第42位「カトちゃんケンちゃん」を紹介します。
このゲームは、1986年から約6年間放送されていた「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」とのタイアップで制作された、PCエンジン初期のアクションゲームです。
私の昔の思い出にドリフターズは欠かせません。そんな思い出をこちらのゲームを通じて書いてみたいと思います。
ぜひ、最後までお付き合いください。
運命のテレビ番組
テレビ離れが叫ばれてもうどれくらいが経つのでしょうか。
特に若い人はテレビをほとんど見なくなったと言われています。
参考までに、2023年8月7日から8月13日までの世帯視聴率ベスト10は次のようになっています。
今は昔に比べて録画が手軽になったり、あとからTVerで見たりなど、リアルタイムで見る人が減っていることもありますが、それでも10位の番組でも10%に届かないなんて、テレビを見る人は本当に減ってきています。
先ほど、「若い人」はテレビを見なくなったと書きましたが、私、つまり50歳のおじさんでも、10年前と比べてもテレビを見る機会は激減しています。
その代わりに見るのはやっぱりYouTube。
ビジネス、スポーツ、ゲーム実況。
お笑い、時々、動物もの。
ついつい時間を奪われます(苦笑)
今はYouTubeにどっぶりな私ですが、若い時はテレビをよく見てました。
俗にいう”テレビっ子”!
子どもの時に特に好きだったのは、お笑いやクイズなどのバラエティ番組です。
その中でも小学校1~2年ぐらいの時、”この番組を見るのを楽しみに生きていた”と言ってもいいぐらいの番組に出会います。
それが、土曜夜8時に放送されていた「8時だョ!全員集合」です。
土曜日が待ち遠しい
ビデオリサーチの資料によると、「8時だョ!全員集合」の最高視聴率は1973年4月7日放送の50.5%とのこと。
これは私が生まれる前の数字ですが、私が最もハマった小学校低学年当時でも、1981年2月21日に47.6%を叩き出しているお化け番組です。
少し話はそれますが、私にとっての土曜の夜は「8時だョ!全員集合」だけにとどまらず
18時~ お笑いマンガ道場
(18時半~夕食)
19時~ まんが日本昔ばなし
19時半~ クイズダービー
20時~ 8時だョ!全員集合
と珠玉のラインナップで、18時~21時までは、夕食時を除いてテレビの前を全く動きませんでした(笑)
「8時だョ!全員集合」とは、前半がドリフターズ全員が出演する大掛かりなセットを使ったコントのコーナー。
ゲストの歌のコーナーを挟んで、後半は早口言葉でおなじみの合唱団やゲストと繰り広げられるショートコントが中心。
とにかく笑いっぱなしの1時間でした。
そして特に私が好きだったのは、前半のコントコーナーでの学校コント。
教室という設定上、大掛かりな仕掛けのないコントでしたが、その分、いかりや長介扮する学校の先生と他の4人が扮する生徒とのかけあいは、全部笑っていた気がします。
特に志村けんとのかけあいは、腹がよじれるほど笑っていました。
全員集合が終わり
そんな人気絶頂の「全員集合」でしたが、フジテレビで始まった「俺たちひょうきん族」が台頭したこともあり、1985年に番組は終焉を迎えます。
その後番組となったのが、今回のゲームの元となった「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」。
こちらはドリフターズ全員ではなく、志村けんと加藤茶の二人がメインで、ドラマ仕立てのコントや、ホームビデオを紹介するおもしろビデオコーナーなど、全員集合とは違ったバラエティになっていました。
この番組を見ていた記憶はあるんですが、全員集合ほど熱狂はしてなかったような気がします。中学生という年齢も影響しているのかなかあ。
話は戻ってゲームの紹介。
ゲームは横スクロールのシンプルなアクションゲームです。
このゲームで遊べたのはファミコンではなくPCエンジン。
ライバルであるファミコンの性能を上回るハードの特性を生かし、グラフィックが本人にとてもよく似ていて、二人の醸し出す雰囲気は抜群でした。
我が家にはPCエンジンはありませんでしたが、仲良く遊んでいた近所の1学年下のO君がPCエンジンを購入。
ゲームの難易度は高かったような気がしますが、小学生時代、さんざん笑わせてもらった加トちゃんと志村を思う存分動かせたことは、楽しい懐かしい思い出です。
時が流れ
2004年3月。いかりや長介さんが病気で亡くなりました。
芸能人が亡くなっても、涙を流して悲しむことはほとんどありませんでしたが、いかりやさんが亡くなった時、私は30歳でしたが、思わず涙してしまったのを覚えています。
そして2020年3月。新型コロナによる肺炎で、志村けんさんが亡くなりました。
ほんとつい最近の出来事ですが、悲しいというより信じられないといった感じでした。
いかりやさんの時とは違い、涙は出なかったような気がします。
小学生の私をあれだけ熱狂させ、私が大人になってからも、さんざん笑わせてもらった志村さんには、ただただ感謝の一言です。
2022年10月には仲本工事さんも亡くなりました。交通事故が原因でした。亡くなる直前まで当然元気な姿を見せていたので、本当に残念です。
現在、残っているドリフターズのメンバーは加藤茶さんと高木ブーさんの2名ですが、私の心の中ではずっと5名のまま。
加トちゃん、ブーさん、1日でも長く元気でいてください。
3人のところへまだ行っちゃダメですよ!
でもいずれ天国で5人が揃った時には、また、学校コントしてくださいね。