指定難病を患った話10.【人生初の入院】
指定難病のCIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)の診断をうけた続きのお話。
実は前回のお話でCIDPと医者から告げられたものの確定診断されたわけではありませんでした。
どうやら症例が少なく、
これがあるからこの病気という
単純な話ではないらしく
体の病気をできる限り否定して
ようやく確定診断できるとのことでした。
なのでまだ現時点ではCIDP疑いという状態。
そのまま髄液検査、血液検査、
全身CTとレントゲン検査を
することになり、
そのまま看護師が用意した
車椅子で検査室へ連れて行かれました。
髄液をするためにベッドが並ぶ、
検査室でしばらく待っていると
隣のベッドの声が聞こえてきました。
「このままでは命にかかわります」
「すぐにでも足を切断しないと危険です」
「ただ切断しても命の保障はできません」
生々しい糖尿病患者の家族と思われる方と
担当医の会話でした。
さっきまでいた家族と離れ
ベッドで横になって生々しい話を
聞いていると一気に不安に襲われました。
「本当に難病になってしまったんだ」
無事に検査が終わり、
家族のもとに戻ろうとしたとき、
先生が駆け寄ってきてこう言いました。
「検査結果が出ました」
「すぐに入院しましょう」
当日はあいにく病室が空いてなかったようで
翌日から入院することになりました。
恐らく幼少期の記憶がない頃を除外すると
人生初の入院でした。
人生初入院が難病か…
病院の帰り、
父と妻と3人で近くのカフェに行き、
信じられないような暗い気持ちの中、
父と妻は明るく振る舞ってくれました。
「病気がわかってよかった」
「ようやくスタートラインに立てたね」
「治らないわけじゃない」
「治療すればふとよくなるよ」
そんな言葉があったおかげで
暗い気持ちも前向きになり、
「最悪口さえ、頭さえ動いていればいい」
そんな気持ちになることができました。
その日の夜のうちに入院の身支度。
さらにより詳しく検査して、
その他の病気を除外して治療、
その後リハビリ療養が予想されていたので
期間はおおよそ1ヶ月程度の見込みでした。
自分でも比較的に着やすい
パジャマや下着が少なかったので
3〜4日に一度妻に着替えを持ってきてもらう
スケジュールで必要な物を準備しました。
もちろんその夜は寝れないと思いきや
精神的な疲れや検査の疲れもあって爆睡。
そして翌日、
飼い犬にしばらくの別れを告げ、
なんとなく家族写真を撮影。
入院するために病院向かいました。
喫煙者の私にとって
とにかく長期間の入院は禁断症状との勝負。
これが最後になるかもしれないと
思いながら病院に入る前に
たんまり吸いました。
病室は個室のトイレ付き。
看護師がお昼1人、夜1人と
1日を通して診てくれていました。
初日は充電器や着替えを必要箇所に
置いたりと簡単に部屋作りをして
後は就寝するだけ。
この時の移動は車椅子で
それも両手が使えないので
誰かに押してもらうか、
足先で地面を蹴って前に進むスタイル。
トイレに行ったら立ち上がれないので
いちいちナースコールで
立ち上がらせてもらう必要がありました。
そのナースコールも
ボタンまで手が届かないので
特別に長い紐をつけてもらい
ひっぱれば押せるようにしてもらいました。
着替えや食事も全介助、
お風呂も洗ってもらう必要があり
自力でできることはちょっと携帯を
イジる程度でした。
そんな状態でいつまで掛かるかわからない
入院生活がスタートしたのでした。
入院初日の夜中2時ごろ、
突然目が覚めて自分が
病室にいることを認識した途端、
本当に病気になってしまったんだと
再認識させられました。
今もですが、
この時まだ自分が難病を
患っているかもしれないなんて
全く信じられない気持ちでした。
そしてまだ未診断の自分の病気が
本当にCIDPなのか?
CIDPだとしたら命に関わることは
本当にないのか?
それともALSや癌など
他の病気なのではないか?
そんな不安にかられていました。
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