萩原朔太郎論ー憂いのある写真ー

萩原朔太郎論ー憂いのある写真ー

萩原朔太郎の、現存している写真は、沢山ある。白黒だが、何か憂いのある表情をしている。幼い頃から、神経質かつ病弱だったようで、なかなか、周囲ともうまく行かなかったようである。いわゆる、孤独というものを知ったのだろう。写真の萩原朔太郎は、ほとんど笑顔がない。不満がある、というよりは、実際、孤独感に悩まされていたのかもしれない。進学も上手く行かなかったようだが、やはり詩については特別に抜きん出て居たようで、頭角を現すことになる。

詩壇で、或る一定の位置を確保すると、写真の萩原朔太郎の憂いは、何か厳かに見えて来るから不思議だ。まさに、詩人の孤独、と言った感じを写真からは受ける。もしも詩人ではなく、他の職業だったら、寂しい憂いになるだろうが、詩人だと、しっかりと受けて側に、その詩人像が写真から伝わってくる、と感じられるのだ。これは、一種の魔術なのだろうか。小説家、よりも、詩人、であるからこその、萩原朔太郎の憂いのある写真が、ピタッとはまるのである。

それにしても、笑顔もなければ、本当に表情のない顔をしている。端正な顔立ちだとは思うが、どこか、不思議な感じを受ける写真なのだ。心霊写真みたいだ、と言えば、熱烈な萩原朔太郎ファンに、怒られるかもしれないが、写真から見られるその場の空気は、非常に張り詰めた、孤独の詩人、という感じであって、逆説的には、あのような偉大な口語自由詩の確立者で、素晴らしい作品を残した詩人が、あのような写真に写った、憂いのある人物で良かった、とほっとする感じである。萩原朔太郎論ー憂いのある写真ー、として述べて来たが、萩原朔太郎の写真を見たことがない方は、一度見た貰いたい、との思いとともに、今回の萩原朔太郎論を、終えようと思う。

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