萩原朔太郎論ー詩人を論じる難しさ、総括ー
萩原朔太郎論ー詩人を論じる難しさ、総括ー
㈠
萩原朔太郎論も、10論目となり、今回で終わりとなる。詩人を論じることは、非常に難しいことだと、論じてみて改めて思った。様々な角度から述べると初めに宣言したが、確かに、少し風変りな、萩原朔太郎論になったと思われる。自分は、やはり、萩原朔太郎の詩を、楽しみで読みたい。芥川龍之介、小林秀雄、埴谷雄高、安部公房、この辺りは、非常に論じ易いのだが、萩原朔太郎を論じるのは、何度も述べるが、非常に難しい作業だった。
㈡
解釈と鑑賞の、萩原朔太郎特集を数冊持って居て、時々目を通すが、これらもまた、本当に面白い。しかし、これらに加わることが出来るかと問われれば、そこまでの力量はないというと思う。或いは、もっと、多角的な、新しい萩原朔太郎論なら、論じることが出来るかもしれない。拙稿で、医者の長男として家業を継がなかった、という事を述べたが、萩原朔太郎なりに、理系的な物を継承して、親を超えんとした姿が、萩原朔太郎論を書いて居て、一番、精神に響いた、萩原朔太郎の姿だった。
㈢
萩原朔太郎論ー詩人を論じる難しさ、総括ー、として述べて来たが、一言で言えば、萩原朔太郎の詩を楽しく読むことはよいことだが、いざ、論じるとなると、本当に難しい詩人だ、ということである。それが、総括としての言葉である。これにて、萩原朔太郎論10論を終えようと思うが、今後、単体で萩原朔太郎を論じることは、ほぼないだろうと予見している。難しいからである。しかし、誰かと比較して、何かの核心を論じる時に、新しい萩原朔太郎が顔を出すことを、願って止まない。
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