開拓者、萩原朔太郎ー安部公房の系譜
開拓者、萩原朔太郎ー安部公房の系譜
㈠
萩原朔太郎の詩は、割と読んだほうである。口語自由詩の確立者であることは知っていたし、その特徴的な詩的形式は、まさに、自由という名の元に書かれた、云わば当時にとっては前代未聞の詩であったに違いない。何と言っても、『月に吠える』が強烈だが、文学史的位置にも、確かにその営為は強く刻まれている。そういった意味合いにおいて、萩原朔太郎は、或る種の開拓者、として命名出来よう。その詩的営為は、現代においても、日本の風土に合った伝説として記されて居ることは間違いない。
㈡
ノーベル文学賞、最有力だった、安部公房は、『砂の女』によって、海外デビューを果たしている。何と言っても、その前衛的小説群は、日本の歴史でも、異端でありながら、日本文学史において、まさに主流として活躍している。思想や評論においては、実にまともな安部公房が、小説においては、実験的構造を持った、類稀なるものを書いた。これもまた、日本文学の海外への開拓者の代表として、歴史に刻んで良い例証である。日本においても、その重要性は、近年高まって居ると言えるだろう。
㈢
ここに、詩と小説という分野は違えど、開拓者としての、萩原朔太郎ー安部公房、の系譜が見て取れる。やはり、歴史に名を残すには、全く新しい発想というものが、必要なのだろう、そんな事を考えさせられる開拓者としての系譜がある。また、両者に共通するのは、評論や思想の内容が非常にまともで、詩や小説に特化した時だけ、全くの新しさ、つまり斬新な手口が見て取れるということだ。つまり、新しいことを、実験的にやっているのである。初めは、全く分からない、何だこれは、と思わせる芸術が、やがて文学の主流になる、というのは、歴史とは、逸脱したものこそが、主流になるという、現実があるように思われる。開拓者、萩原朔太郎ー安部公房の系譜、として述べて来たが、ここで筆を置くことにする。