50代のおばさんがうつ病になりました。【エピローグ】
もうこの頃となっては、体調の良い日の方が多くなってきている。読書も少しならできるし、趣味の手芸の類もぼちぼちやってみたい欲が出てきた。
しかし、思いもよらぬことがきっかけで、ズーンと体調が悪い方へ逆戻りしてしまったりする。そうなると一週間ぐらいは横にならざるを得ない。
そして天候、季節の変わり目が、これまたズーンと体調を悪化させる。昔から、雨の日または晴天、要は気圧の変化に弱く頭痛がしたりしていた。季節の変わり目もガッチガチに身体が凝り固まってしまい、吐き気を催す程だ。これらが容赦なく襲ってくる。これらはうつ病とは関係のない元々のものだが、プラスアルファで体調悪化に拍車をかかるのが悔しい限りだ。
前回も書いたが四つの基礎行動は意識して実践している。例えば、遠くへ行ってみるのも、落ちた体力を戻すトレーニングなので、大好きな友人を伴って出かけたりするのだが、そんな時は、前日と後日は予定を一切入れず、完全に自宅でひっそりと過ごす。食材の買い物にも行かなくて済むように、冷凍食品、スーパーのお惣菜、などを普段から多めに用意するようにしておくのだ。■身体を無理させないのだ。
そして、20:00には布団に入る。朝6:30に起床。子どもたちの弁当を作り(また私の仕事に戻ってきた)。■規則正しい生活を心がけるだ。
自分では気をつけていても、家族がいろんな問題を私の耳に目に刺激を与えてくる。こればかりは自分では制御できない。■ストレスを溜めないだけは、制御不能。いくら私が平穏で心を安らかに務めていても、突如としてストレスが降り注がれる。それも家族からであることが多い。
しかし、家族とはそいうものなのだ。家族が増えると面倒な事柄も同時に増えるが、一方で寂しさを埋めてくれるのも家族なのだ。
しかし正直に言えば、今の私は、自分のことだけで精一杯だ。それぞれ自身の問題を自身で解決してくれると助かる。
「これにて解散とする!この後は皆気をつけてそれぞれ生きていってくれたまえ!お互いに元気に生きていれば、また会おうではないか!」トップリーダーの最後の言葉として、横一列に並ばせた家族に放棄宣言をしたい、とこっそり思ったりしている。
■できるだけ散歩もあまり出来ていないが一応行っている。自転車を使わず歩いて買い物に行ったり。当てもなく歩くことが苦手なのだ。
そんなこんなで、うつ病をうちに抱えながら生活を送っている。これが私の新しい生き方のステージだ。
この先も順調に治療続ければ体調の良い日がもっと増えるかもしれないが、もっと良くなってやろう!と私はあえて期待しようとは思わない。もしかしたら、これ以上良くならないかもしれない。それならそれでも良い。
この世から消えてしまいたい願望が全くなくなったわけではない。体調の良い日は思い出していないだけで、常に頭の片隅にある。その告白に主治医を困惑させてしまったのだが、これは、わざわざ自ら命を断ちたいというわけではない。突然、死が訪れても構わない、ということだ。
いずれ人は死ぬのだ。生まれて死ぬ。誰の言葉だったか「人は死に向かって生きている」と言っていた人がいる。妙に納得したのを覚えている。生の期間に人それぞれ差があるだけで最後は必ず死を迎える。
かつての未熟な私は、死を最も恐れていた時期があったが、その後のいろんな経験を経て恐れがなくなった。
私はそれだけ濃い人生を歩んだということではないかと思う。振り返れば、やりたいと思ったことは全てやってきた。欲張りに何にでも手を出して、それをひとりで抱え込む強欲な私に、神様はうつ病という罰を与えた。
春は、新しい命が芽吹く季節だ。ベランダから見える電柱にカラスが巣を作っていた。母カラスはどっかりと巣に載り卵を温めている様子だ。毎朝、カラスの無事を確認するのが日課となっている。
どれぐらいで子カラスが孵化するのかは知らないが、確かに命はこの世に産み落とされ巡る。この地球上では、何億年も前から繰り返されている巡り。私もこの地球上に産み落とされて、さらに子どもを産んだ。そう考えると私も地球の一部なんだなぁ、と実感する。
この地球上に害鳥と忌み嫌われるカラスと、価値の無い人間の50代のおばさん。私たち何だか似てるわね、とベランダから母カラスに声をかける。母カラスは、私に警戒の視線を送る。私はカラスへ穏やかな笑顔を送っているのに。
皆様、『50代のおばさんがうつ病になりました』をお読みくださりありがとうございました。拙い文章ながら発表できる場と出会い、皆様の目に留めて頂けたこと大変嬉しい限りです。
一旦『50代のおばさん〜』はこれで終わります。また別の作品もどんどん発表していきたいと思っています。これからもカンネルをよろしくお願いします!