カンネル

50代に入り体調を崩し強制的に療養中。 うつ病を中心の闘病記を書き始めました。 だいぶ体調の良い日が増えて、 『とにかく何か書きたい』衝動に 駆られています! 創作ものにも挑戦してみたい。

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50代に入り体調を崩し強制的に療養中。 うつ病を中心の闘病記を書き始めました。 だいぶ体調の良い日が増えて、 『とにかく何か書きたい』衝動に 駆られています! 創作ものにも挑戦してみたい。

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50代のおばさんがうつ病になりました。①

あれは突然の出来事でした。  自営業者という肩書きを持ってはいるが、経営的に順調とは言えず、自営業ゆえ、ある意味自由な働き方ができる環境なので、アルバイトなど計三つの仕事をしていた。  経営方法を、もっと建設的に検討するなど頭が回らず、「とにかく生活のために稼がなきゃ」としか考えられずにいた。  自営業者という肩書きの他に家では家事一切を担うワンオペ主婦という肩書きと、末期癌を患った母を介護するケアラーという肩書きも持つ。  もう自分には余裕がなかったのだろう。余計なことは

    • 弟のほほ

       「ネェ、タスケテ、マーチャン、ガッコー イカナイッテ」  職場に義母のアメリアから電話が入った。私は、またか…と呆れながら電話を切った。  マーチャンとは、私の15歳離れた弟だ。母親はもちろん違う。  父は、私の母が家を出て行ってから、以前から付き合いがあったらしき女性と再婚した。  その女性は、弟を産んでまもなく、持病を拗らせ亡くなった。  葬儀では、父に抱かれたまだ小さな1歳足らずの弟が、参列者の涙を誘った。  その数年後、私は父から独立して、いや、父と弟が、いつの

      • 50代のおばさんがうつ病になりました【続編】

         うつ病を発病してから1年になろうとしている。こんなに療養する予定がなかったし、私が専業主婦のように家に居るのが当たり前のように家庭の風景になっているのが、考えてみると不思議である。   次女にしてみると、私がいくら体調悪そうに横になっていたとしても、学校から帰ると私が家に居て「おかえり」と声だけのお迎えでも嬉しいようだ。  次女には、物心ついた頃から私が昼間に家に居るということがなかったので、常に寂しい思いをさせてしまっていた。働く既婚女性の背中を実際に見せてやりたいという

        • 50代のおばさんがうつ病になりました。【エピローグ】

           もうこの頃となっては、体調の良い日の方が多くなってきている。読書も少しならできるし、趣味の手芸の類もぼちぼちやってみたい欲が出てきた。  しかし、思いもよらぬことがきっかけで、ズーンと体調が悪い方へ逆戻りしてしまったりする。そうなると一週間ぐらいは横にならざるを得ない。  そして天候、季節の変わり目が、これまたズーンと体調を悪化させる。昔から、雨の日または晴天、要は気圧の変化に弱く頭痛がしたりしていた。季節の変わり目もガッチガチに身体が凝り固まってしまい、吐き気を催す程だ。

        • 固定された記事

        50代のおばさんがうつ病になりました。①

          50代のおばさんがうつ病になりました。【12】

           なんだかんだと時が経ち、うつ病の診断から半年以上が経った。  当初は、一ヶ月で克服してやる!と息込んでみたものの、そう簡単には完治するものでもないことも身をもって知った。  それは、症状がとても軽くなり、発症前の状態に近くても完治という言葉を使わず、寛解という言葉を使うことにも現れていると思う。  とても症状が和らいで「私、もう大丈夫かも」と油断していても、また強い症状に襲われることもある。  私が半年以上の療養で学んだことは、以前の私には戻れないということ。うつ病と共に生

          50代のおばさんがうつ病になりました。【12】

          50代のおばさんがうつ病になりました。【11】

          ※センシティブな内容も含まれます。  母に関する面倒なものは、終わりに近づく。  しかし、空家のこと、次女の受験のこと、長女の将来(軽い障害を持つ)と経済的なこと等考えることは尽きない。  考えていくうちに、身体が、脳が、疲れてしまう。そして、こんなにすぐ疲れはてる情け無い自分の事が嫌になり涙が出てきて、消えて無くなってしまいたくなるのだ。  そんな時は、頓服の抗不安薬を飲んでソファで横になり眠る。  家事をしていても、途中で疲れてしまう。洗濯物を干しては横になる。掃除を

          50代のおばさんがうつ病になりました。【11】

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑩

           母が入院して、一ヶ月で亡くなった。  入院初期は週一回30分の面会が、後半には週二回になり面会の規則も緩くなった。しかし、母は眠っていることが多く、会いに行っても殆ど会話らしい会話をしていない。 ぼんやりと目が覚めている時は、「朝、目が覚めるとガッカリする。まだ生きてるって」なんて言う。気持ちはとても解る。元気に活動的なら生きてることも喜びだが、ただただベッドで横になっているだけで、味気ない病院の天井しか目には映らず、食欲もないため、大好きだった甘いおやつも食べる気がしない

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑩

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑨

           ホームセンターでの買い物で、うつ病の症状を改めて自覚した。それからが本当のうつ病との戦いとなった。  最初の診察から二週間が経ち、二度目の診察の日がきた。  医師の言う通り三日で薬の効果を感じたことや、ホームセンターでの出来事や、以下に綴った出来事などを話した。  日々の食材の買い出しに行けば、何を買えば良いのか頭が回らず、カートのハンドルを握りながら途方に暮れる。  テレビっ子の私が、テレビを観られなくなっていた。朝の情報番組ぐらいは時計代わりにつけてみるのだが、情報量が

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑨

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑧

           さて、「うつ病」を受けいれ、治療に専念することに決めた私。  まずは、当面の仕事の休業宣言を関係各所に連絡を入れる。具体的な病名を言うと面倒なことになりそうな気もしたので、体調を崩した程度で説明した。 「仕事復帰の際はまた是非よろしくお願いいたします。」 その時は、一カ月程度で復帰する気満々でいた。  問題はアルバイト先であった。このアルバイトだけはこれを機に退職させてもらうつもりであった。詳しくどんな職種かは書かないが、職場内の環境が私には合わないと感じていたこともあり、

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑧

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑦

           さて、私はまだ自分がうつ病を患ったことを信じることができずにいた。  確かに、頭がボォウっとして頭が回らないし、フラフラもする。外がやけに眩しいし、つけっぱなしのテレビがうるさくて煩わしく、吐き気さえしてくる。しかし、これは、あの大きな目眩と異常な頭痛の後遺症的なものじゃなかろうか。  私は、うつ病の症状について検索してみた。より信頼出来るサイトが良いと思い、厚生労働省のサイトを開く。  以下は厚生労働省のサイトからの引用と、治療に入る前の私自身の状況である。 ❶悲しく

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑦

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑥

           こちらの心療内科は一度、別件で来たこともあったので、受付のスタッフや、医師の印象は良かったことを覚えている。相性が合わないところには通えない。  初診の手続きをして待合室で呼ばれるのを待つ。予約制のため、混雑もなく静寂が心地良かった。  目を瞑っているのが本当に楽だ。眠い訳ではないのだが、目を瞑っていたいのだ。目から入る情報が非常に煩わしい。  やがて私の名前が呼ばれた。診察室のドアから医師がニコニコと笑顔で迎えてくれた。優しい笑顔に安心する。医師もきっと患者を不安にさせ

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑥

          フォレスト・ガンプ30周年

           トム・ハンクス主演の『フォレスト・ガンプ/一期一会』初上映から30年経つと言う。  初上映当時、私は20代前半。もちろん話題の映画だったこともあり、デートで観たか、友達と観に行ったかは定かではないが映画館で観た記憶がある。  遠い目をして30年前の自分を思い出してみたりした。  20代前半の夢見がちな、まだまだ子どもの私。足元を全く見ることもなく、地に足を着けず遊びまくっていた。そこはまるで舞踏会(クラブまたはディスコ)。素敵な王子様との出会いを求めて着飾ったシンデレラは

          フォレスト・ガンプ30周年

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑤

           私にも病院選びには、一応のこだわりがある。医学部を卒業し、並々ならぬ研修期間を経て一人前の医師、先生と呼ばれるようになったからと言って医師なら誰でも良い訳ではない。そこは、やはり人間同士の相性みたいなものを大事にしたい。 どんな名医と謳われる医学博士でも、お話しをしてみて、この方とは合わないと思ったら、診察はそれきりにするだろう。  正直、先日の脳外科の院長にはがっかりしている。猫だましをくらわされたことも意味がわからない。私のことを相撲好きと思っての冗談だったのか。そして

          50代のおばさんがうつ病になりました。⑤

          50代のおばさんがうつ病になりました。④

           昨夜頂いて帰ってきた病院案内のパンフレットを頼りに、バスを乗り継いで救急車で運ばれた脳外科病院へ。  受付で昨日救急で来た旨伝え、順番を待つ。  昨夜は照明が落とされていて病院の規模がわからなかったが、今日まじまじ見渡すと大きな病院だった。  救急も受け付けているし、病床数も多いんだろうな、病院って名乗ってるぐらいだしね。なんて考えながら待合室の水槽を覗く。水の揺らぎに癒される。このまま、ずっと眺めていたい。    待っている間に、何組もの救急患者が担架に乗せられ運ばれてき

          50代のおばさんがうつ病になりました。④

          50代のおばさんがうつ病になりました。③

           救急車騒動の翌日。 どうやら、ママに負担をかけすぎはいけないと、子ども同士で話しあったようで、長女が自分たちのお弁当を用意することになった。 「少しでも長く寝てね」優しい娘よ、もっと前からやってくれても良かったよね、なんて思ったりする。  さて、救急車で運ばれた脳外科に再受診しなければならない。まだなんとなくフラつくし、なんとなくボーっとして、なんとなく胃もたれもする。昨日の今日だ。それもそうだろう。  仕事は全てキャンセル。アルバイトも休みをもらい、そして、寝たきりの母

          50代のおばさんがうつ病になりました。③

          50代のおばさんがうつ病になりました。②

           #7119では、薬の処方についての指導はしないという。強烈な頭痛に冷静さを持てていなかっただろう。痛みの恐怖で#7119に電話をかけていた。  なんだかんだで、時間はかなり経っていて、家族もひとりふたりと帰ってきていたが、家族に頭痛を訴えたところで解決してくれるとは思えず寝室からゴソゴソ、ソワソワ#7119かけてみた。  対応してくれた女性のオペレーターに今朝からの状況をを説明する。とてもじゃないが眠って痛みを忘れさせるような状況ではないこと。痛みのせいで力んでいるせいか

          50代のおばさんがうつ病になりました。②