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誰も孤独にはさせないと決めた日
今日は久しぶりに
友達とランチしてきました🙌
普通にランチして
楽しくコーヒー飲んでおしゃべりして
「ああ、今日もいい日だった」
そんな風に終わる一日を想像していたけど
全然違う展開でした。
実はね、ここ最近
『自分の作った“箱”から出る』
というのが私のテーマになっていて。
こうあるべきとか
社会で受け入れられるためにはこれが必要とか
周りに受け入れられるにはこうしようとか
そういう「自分で自分を繋ぐ鎖」を
断ち切っていこうと意図していたんですよね。
そうしたら
……また特大のやつにぶつかりました🤣
それというのが
『私だけ幸せになってはダメ』
『誰かを見捨ててはいけない』
というもの。
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以前の記事にも書きましたが
実はちょうど今
来年の職場をどうしようか悩んでいたんですよね。
自分の夢を叶える時間を確保するために
場所を移してチャレンジするか
今の教室に留まるか
はたまた別のルートがあるのか…
どれにせよ、私のなかでの”引っかかり”が
今担当している生徒さんたちでした。
引越しで別の校舎に転校するのに
私の授業が面白いから受けに行きたいとか
受験まで一緒に頑張りたいとか
私になら思っていることを言えるとか
そんな嬉しい言葉をたくさんもらってきたし
その気持ちに応えられるよう
マジで全力で仕事してきた。
そんな彼らを放っておいて
自分だけうまみを得に行っていいのか。
そんな葛藤があったんですよね。
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「そんなん、さっさと転勤すればいい」
「ほかに先生はいくらでもいるよ」
なんて、私も思いましたよ、思考の方で。
でも、こんなにも内側で葛藤が起こるのは
私がきっと、誰よりも
見捨てられること・孤独になることの
辛さを知っていたからだと思うのです。
私は小学校3年生のとき
学級崩壊状態のクラスでいじめられていました。
先生は新卒の若い先生。
いつもいじめっ子たち(自己主張の強い子たち)の
いう事しか聞いてくれなかった。
誰にも助けを求められない。
教室には味方が誰もいない。
1日のなかで一言も喋らず
学校と家を往復する生活をしていましたね。
その時の私は、たしかに
「あいつらと同じことは絶対にしない」
と心に誓ったのです。
私は誰も見捨てない。
私は誰も悲しませない。
私はひとを苦しめるようなことはしない。
って。
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でも、本当は
私という一人の人間が
自分の幸せのために選択することならば
それが私の世界にとっての“正解”なのです。
私が幸せに生きることが
世界に幸せを与えることになるのです。
愛されていい。
存在していい。
全部を”欲しい”と言っていい。
存在しているだけで、全部受け取っていい。
そんな許可を自分にして
本当の自分に戻る道を
もう一度たどってみたいと思います🕊️