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『あいつと私』(原作:石坂洋次郎 主演:石原裕次郎 1961年9月10日公開)個人の感想です


『あいつと私』

吉永小百合が写真に写っていたので、観てみるか、という程度で観始めた映画であったが、コミカルな中にもこの時代の変化をてんこ盛りにしたとても面白い映画だった。リリカルとかニヒリスティックと評されていたけど、そんな感じではなく、十分に世相を反映していて、とても面白かった。ちなみに吉永小百合は、主演女優芦川いずみ(藤竜也の妻)の妹役にすぎなかった。ドテッ!

時代は、1960年、戦後15年、安保闘争の時代、まさに学生運動の始まりのころである。登場人物の年代も恐らく明治、昭和一桁、戦中、戦後生まれの人たちでバラエティに富んでいる、また、都会のお金持ちのお坊ちゃんから、山奥で働く土方の人たちまで、今に限ったことでない、格差社会も含めた展開になっている。

物語は、大学のキャンパスからスタートする、裕次郎は大学生役でお相手は芦川いずみで、裕次郎は、破天荒なお坊ちゃま学生を演じている。この破天荒なお坊ちゃまが、どんなことになるのだろうと思ってみていたが、途中からは、石原裕次郎は脇役で主役は登場する女性全員ではないかと思うくらいに次から次に様々な女性の生き方、考え方が出てくる。女性の考え方、生き方が大きく変わっていく時代だったのかも知れない。

そういう意味では、ハッピーエンドでもなく、暴力的でもなく、悲しい映画でもない、ある意味、多様性を受け入れることを感じさせる映画で、まさに今の時代に合っていて、この時代を過ごしてきたのに、なぜ、今に至るまで男は変わっていないと言われるのか、どうなってんだ、男社会はって思った。

多くのショートトピックが展開されていくが、必見ポイントをいくつか紹介。

安保闘争のデモに熱心な女性、貞子(吉行和子)が男2人と女友達と共に活動していて、その女友達が貞子が尊敬する男に強姦され、汚れた女になって同居する貞子の家に帰ってきたところだ、学生運動の時代に、リンチが行われたり、グループの中で女性そういうことになったりというのがあった話は知ってはいたが、かなり傷つき、女性が自分自身を汚れた女と感じるシーンが作り込まれている。多くの女性がこのような目に遭ったのかなと。一方でこの時に裕次郎は「汚れた女は自活しすることだ」と言った。自立して、お金を稼いで、男をひれ伏せさせて、男の方から自分に寄ってこさせろという意味だ。まだまだ、世の女性が自立出来ない時代だったのだろうが、これを見て勇気をもらい、こういう状況でなくても女性の自立心を煽ったのであろう。(この女性は、途中で自立したイキイキした姿が出てきます、良かったぁ~)

実は、裕次郎は、自由奔放に見えるが、かわいそうな男であった、心に高校時代に受けた傷があり、人さまに言えるような話ではない内容だ。しかし、裕次郎のことが好きになっていた芦川いずみは、その話を教えてと迫る、裕次郎は、「僕は何でも嘘がつけるけど、自分のマイナスになるようなこでは嘘はつけない」と言って語りだす。(かっこいいですねー)内容は、映画を見ていただきたいけど、裕次郎はマイナスをしっかり受け止めて、最後にそれを良かったと言った。人生には、誰しも自分にとってマイナスなことはあると思うけど、あとから振り返ってみれば、良かったということはあるだろう、それは、そのことが良かったのではなく、結局、本人が過去を良かったことにする振る舞いをした結果なんだろうし、そうやって消化するのかな。

最後にもうひとつ、裕次郎の母親も強烈な個性を発揮している。裕次郎の母親は、有名な美容師で、それで、裕次郎も裕福な生活をしてるのだが、裕次郎の出自に暗い影がある。この話を芦川いずみにするのだけど、話をする前に母親は「世の中には怖いものは何もないが、自分で自分を見つめることが一番怖い、自分で自分が嫌いなの」と言って話を始める。これもまた、世の中に多くの人が自分に対して思っていることではないか、と。人間の狡さ、欲深さを感じさせるお話であり、今も似た話がないことはないと思う。

この映画は、起承転結があるお話ではない、評されている通り、リリカルと言えばリリカルかもしれない。10話の物語をわずか1時間半で見せてもらった感じがした。この時代の学生だった人たちに起こる日常というかハプニングというか、そんな世界が見れる映画で、終わった後にももっと面白い日常があるだろ、続きを作ってよ、と心から思えた映画でした。

では、また(笑)




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