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『命の恩人の話』
誰にでもいわゆる命の恩人という人はいると思います。でも、自分の本当の命を救ってくれたと思える人は、病院の先生以外に少ないのではないでしょうか。私には、私が今、こうやって生きているのは、死を以って私の命を救ってくれたと思える友人がいます。
私は現在、62才ですが、二人の関係は、20代前半まで遡り、ある出来事は50才まで遡ります。
私と彼は、社会人になって知り合いました。たまたま職場が一緒で、同い年、同じ仕事をし、意気投合する、皆さんにもよくあることだと思います。一緒に徹夜で仕事をし、一緒にテニスをし、一緒にマラソン大会参加し、一緒に野球を見に行き、いかがわしい映画も見ました、もちろん、良く飲みにも行きました。
彼は、30才を過ぎたころ、転勤で東京に行き、生活をしておりましたが、私が出張の折には、その家にも泊まりに行き、一緒に銭湯にも行きました。
私が33才の時に、大学の編入試験を受けに東京に行き、合格発表は、私の代わりに行ってくれて、電話で「桜咲く、合格の書類をもらってきたよ、おめでとうございましたと言われたので、ありがとうございますって、俺が言っといた」と笑って電話をしてきてくれました。結局、私は大学には行かず、仕事をそのまま続けたのですが。彼は転勤先にいながら、地元に好意を寄せる女性がいました。その女性は、私が担当していたお客様で仕事をしており、私の後、彼がそのお客様を私と交代で担当し、彼女に好意を寄せ、彼女も彼に好意を寄せているということでした。彼は、私に「どうかなぁ」と話をし、私も「いいんじゃない」と答え、二人は結婚することになり、転勤先で新しい生活をスタートしました。転勤先から地元に戻ってきて、しばらくして、「子供が出来た、三つ子」と嬉しそうに報告してきました。その後、私は、転勤し、しばらく、疎遠になっておりましたが、50才になっていた私は、私が20代、30代の時に担当したお客様と食事に行きたいと彼に頼み、彼がセッティングしてくれて、もちろん彼も一緒にそのお客様と食事に行きました。そして、その4か月後、彼は亡くなったのです。彼と会ったのはその食事が最後でした。
原因は、心筋梗塞でした。早朝にソフトボールを行っている最中に、ヒットを打って、2塁まで走っていったところで、倒れてそのまま息を引き取ったと聞きました。私は、彼が亡くなる2週間前に転職したばかりで、御通夜にもお葬式にも参列することが出来ず、無念でなりませんでした。
実は、私も生まれながらに心臓肥大を抱えており、心臓に対する不安がない日は一日としてなく過ごしてきました。子供の頃は、学校では、マラソンや水泳など心臓に負担がかかりそうな運動は見学で良いと言われていました。そんな私にとって、彼の心筋梗塞による死は大変なショックであり、自分自身の不安を増長させるものでした。そして、彼が亡くなった年の年末、勤務中に胸が突然痛くなり、病院に行ったのです。心電図など異常は見つかりませんでしたが、彼のこともあったので心臓について「将来が不安です」と先生に伝えたところ、CT造影検査をしましょうか、と言われその検査を受けたのです。
すると、冠動脈に2ヶ所詰まりかけているところがあると言われるではないですか。ひとつは75%詰まっています、定期的に観察していきましょうと言われました。「将来が不安です」は、彼の死のくやしさや、どうして防げなかったのなど、常に頭から離れず、自分自身に置き換えて出たひとことだったのかも知れません。将来のことを尋ねて、自分の心臓の危険を知ったことこそ、私が彼を命の恩人と言った所以なのです。あれから10年、私は、60才になり、血管が詰まりきる前にカテーテル手術でステントを2ヶ所に先生の勧めで入れました、そして普通に生活をしています。もし、あの時彼が亡くなっていなければ、私も先生に尋ねることもなかったでしょうし、CT造影検査ともカテーテル手術とも無縁で、あと数年で心筋梗塞になっていた可能性は充分にあります。
彼の死後、毎年、お宅にお伺いしお参りをしておりましたが、ここ数年、コロナの影響もあり、足が遠のいておりました。
彼は、間違いなく私の命の恩人ですが、そのことを彼は知りません。これほどの深い感謝の気持ちを伝えに久しぶりにこれからお参りに伺います。待っていてください、成ちゃん。
では、また。