江戸時代が今と繋がる気がしてくる


万延元年の遣米使節団の一部メンバー(旗本たち)。1860年にアメリカで撮影した写真。 「万延元年遣米使節子孫の会」ホームページより https://1860kenbei-shisetsu.org/aboutus/


従来とは違う視点から眺める「幕末」

 3年前、生業としてきた仕事がコロナ禍で激減。楽観的に「小説を書いて応募するチャンス」などと思い立ち、歴史小説を書く気になった。遙か昔、司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』を読み、新選組に興味を抱いて幕末が舞台の小説をたくさん読んだことがきっかけだった。
 小説に取りかかる前に、時代背景を理解する必要を感じた。「幕末って、いつから?」「尊皇や攘夷って、どういうこと?」「戊辰戦争って、なぜ起こったの?」「なぜ、幕府が倒されたのか?」など、昔からの疑問を解消することにした。
 近年は研究も進み、私が抱くような疑問を新しい視点から解き明かす本もいろいろ発刊されている。お勧めは、町田明広さんの『グローバル幕末史 幕末日本人は世界をどう見ていたか』。町田さんの明快な文章で、幕末の複雑な時代背景がすっきりと理解できた。読んでいて思ったのは、幕末からの攘夷に関する日本人の考え方が、太平洋戦争の敗戦まで続いていたこと。明治時代のスローガン「富国強兵」は、江戸幕府の外国奉行の1人だった岩瀬忠震も唱えていた考え方だったことを知った(この本ではないけど)。つじつまが合ったように感じた。
 また、大村大次郎さんの「薩摩、長州の倒幕資金のひみつ お金で読み解く明治維新』も、従来とは違う視点から幕末を知ることができるから面白い。開国を契機に、ドンドンとお金がなくなっていく江戸幕府、貿易などでお金を蓄えていた薩摩や長州と比較すると、「倒幕は、やっぱ金か」と納得した。

この時代の日本を訪れた西洋人による回顧録

 今回の私的な幕末見直し作業は、日本を訪れて手記を残した西洋人や当時を生きた日本人の証言などを主眼にしていた。
 まず、最初に読んだのは、イギリスの青年外交官アーネスト・サトウの回想録『一外交官の見た明治維新』。文久2年(1862)から明治15年(1882)まで滞在していたので、その頃の重大な出来事が取り上げられていて興味深い。異文化を生きる人から見た幕府の役人などについての描写も面白かった(かみしも=ウイング。役人に付けたあだ名とか)。のちに日本語が堪能なイギリス人として、薩摩や長州の倒幕派とも関わりを持つサトウだが、日本に来たばかりの頃はまだ日本語がよくわからず、「ごろうじゅう(御老中)は、5人の老中のことかと思っていた」という下りもあり、ちょっと笑えた。
 サトウより少し遅れてやってきた青年外交官A.B.ミットフォードの『英国外交官の見た幕末維新 リーズデイル卿回顧録』は、サトウの記述と重なるカ所を選んで読むと、その出来事がより詳しくわかるので使い手があると思った。
 部分的に読んだのは、M.ド.モージュら、フランス海軍士官の冒険譚をまとめた『フランス人の幕末維新』。ウジェーヌ・コラッシュの『箱館戦争生き残りの記』が目当てだったが、これも面白かった。宮古湾海戦前後の行動が記されていて、ことの顛末が理解できた。コラッシュが江戸へ護送される際、お金を持たせた人を「南部の殿様」と書いているのだが、当時は殿様不在だったようなので、誰のことを指しているのか、疑問が残る。
 やはり全文は読んでいない本で、デンマーク人ながらもフランス海軍士官として幕末日本を訪れたE.スエンソンの『江戸幕末滞在記』も時代を知るために活用できると思った。幕府の外交についての記述を知るために入手した本なのだが、家事で燃えてしまった大坂城の在りし日の姿や第15代将軍の慶喜についての描写が、他の本と合わせて見ると、立体的にわかる気がする。

幕末当時を生きた日本人たちの証言

 明治半ばを過ぎた頃、古老の話の採集を思い立った篠田鉱造の『増補 幕末百話』は、入手しやすい本である。士族の商法、辻斬り、安政の大地震など、当時の事柄を語り言葉で伝えている。現代の日本語と変わりないので、今と変わらぬリアリティが感じられるところが意外だ。
 旧東京帝国大学史談会編の『幕末諸役人の打明け話 旧事諮問録(きゅうじしもんろく)』は、貴重な証言集である。小姓として将軍に仕えていた者、大奥に使えていた者、町奉行や外国奉行、御庭番や町与力だった者ら、幕府で働いていた者たちの直接の証言を集めたものなのだ。当時、速記が流行ったので、発言どおりに記録できたことで、こういう本が生まれた側面がある。ただ、成り行きで話を聞いているようなところがあるので、突き詰めておいて欲しいところがイマイチ、というところもあるのが惜しい。
 前述の庶民の回顧録と対をなすかたちの本が、柴田宵曲編の『幕末武家の回想録』である。明治時代になってから語られた大名の暮らし、御徒について等。もっと知りたいと思わせたのは、沢太郎左衛門の『幕府軍軍艦海陽丸の終焉』だった。
 そもそも、サムライがフェイドアウトしたのはなぜなのか、常々疑問に思っていたのだが、こうして幕末について調べていたことで、わかってきたように思う。西洋的な基準に合わせるために、従来(武家文化)の在り方を否定することで、新しいというか、当時の帝国主義的な価値観に日本を合わせようとしたのだろう。そのため、サムライは自身を表向き、否定せざるをえず、オーバーグラウンドから消えていったのだと思う。
 果たして、サムライについてはどのような評価が下されるのだろうか?

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