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日本語コミュニケーションとボディシェアリングを心理学で読む


体感して察する

文法では伝えられない心の問題

歴史学者であるモーガン氏は、日本語を話せるようになる過程でものの考え方が変わったそうだ。いくら正しい文法で話しても相手には伝わらない。送り手が受取り手に心を伝えようとしないと伝わらない。例え、無茶苦茶な文法でも心を伝えようとすることが日本語でのコミュニケーションには必要だそうだ。欧米の文化ではディベートで返す自分の主張を表明し相互理解や自己表現することで言い返すことが重要視されている。
日本語の単語数は、諸外国に比べ特段に多いことも認識されているが、空気を読むという文化で、暗黙の了解や微妙なニュアンスも多分に含まれており、逆に言えば誤解を招きやすいが「いつもお世話になっております」(お世話してないけど、お世話になってないけど)と礼儀など相手をおもんばかることや「お・も・て・な・し」により言葉を選び言い回しにより、会話での摩擦が生じないよう配慮もなされている。
日本語の特徴には、大学などの高度な学習が可能な点が利点であり、高度な学習ができる語訳はかなり少ないため非常に優秀な言語であり、先人たちの努力が身に染みる言語でもある。

視覚・聴覚、そして固有感覚ボディシェアリング

五感を疑似体験できるテクノロジーの進化には目覚ましいものが最近はおおくなっています。個人的にはVRはほんとにすごくなっています。私が小学生の頃は、3D眼鏡という赤と緑の眼鏡をかけて映画をみてかなり衝撃的な映像で体が勝手に動いていたのを思い出しますが、VRはどこを見ても立体的にリアルに感じ、VRから戻ってきたときの雑念の多さの嫌気さときたら・・・。
本題のボディシェアリングは、部屋にいながら体の感覚の体験ができるそうです。家で登山をしたり、スポーツを体験することができるのだそうだ。また足首にセンサーを取り付け筋肉の動きから、心身の状況を汲み取り感情や疲労等を検知できるのだそうだ。これをアバターに画面上で映し出すことにより、自分の感情を表現できるようになっている。
言葉だけでなく身体感覚や感情を共有することで、コミュニケーションを補完します。特に、日本のような「察する文化」では、言葉よりも相手の気持ちや状態を感じ取ることが重要です。ボディシェアリングがこれを強化することで、言語的な壁を超えた共感や理解が可能となる。
実用段階としてアバターがリアルタイムにセンサーから検知された情報を映し出し共有している。職場では、相手の疲労感や集中度を共有することで、適切なフォローやサポートが可能となり、生産性の向上に繋がる可能性があり、働く人々の心身のバランスを整え、ストレスの軽減やチームワークの向上が図れている。
ミラーリング効果や共感の強化に繋がり、他者の動きや感情を模倣することで、より深い共感や協調行動が促進され、ストレスの軽減や人間関係の円滑化が期待できる。

自分自身でもわからわかりにくい心身の状況を表示することにより自己理解の覚知ができる一方で問題なのがプライバシーの問題である。自分自身の状況が誰でもわかるようになってしまうことが問題なのだが、実際にやってみると、表示された方が周りのサポートを得られやすくかえって楽になるそうなのだ。
感情の汲み取りが難しい境界知能の者にとっても多様性を強要する社会にとっては大きな貢献になるのかもしれない。

非言語的コミュニケーションの重要性

日本語におけるコミュニケーションは、言葉以外の要素、つまり表情、声のトーン、姿勢、身振りなどが非常に重要です。これを「空気を読む」文化とも言いますが、相手の心情や意図を言葉の裏から読み取る能力が重視されています。心理学ではこれをコンテクスト依存型コミュニケーションと呼び、高コンテクスト文化の特徴です。
ボディシェアリングは、身体感覚や感情を共有する技術であり、言葉を超えたコミュニケーションのツールとして使える可能性があります。日本語の文化においても、言語だけではなく身体的な感覚や感情の伝達がコミュニケーションの一部として機能するため、ボディシェアリングはそれをより一層深める手段として適合しやすいです。
日本語のコミュニケーションでは、相手に対して直接的な言葉を避けることがよくありますが、その分相手の状況や感情を「察する」ことが求められます。ボディシェアリング技術を用いることで、言葉を使わずとも相手の集中度や疲労感、感情などを感じ取ることができるならば、その「察する」能力が技術的に拡張されることになります。これにより、言葉に頼らずともより深いコミュニケーションが可能になるかもしれません。
ジェーソン・モーガン氏が指摘したように、日本語のコミュニケーションでは相手を思いやる姿勢が大切です。ボディシェアリングによって、相手の心身の状態をリアルタイムで把握できることで、たとえば相手が疲れているときに無理に会話を続けない、集中しているときはそっとしておくなど、適切な距離感を維持することが可能です。これにより、人間関係の摩擦を減らし、円滑なコミュニケーションが促進されるでしょう。
ボディシェアリングによって相手の身体的感覚や感情を共有できることは、共感の強化に繋がります。日本文化においては、相手との共感や調和が非常に重視されます。ボディシェアリングがその一助となるならば、相手の感情をより直接的に感じ取り、共感を深めることができるでしょう。
日本語に限らず、異文化間でのコミュニケーションにおいても、言語の違いが壁となることがあります。ボディシェアリング技術があれば、言語の壁を越えた感情の共有や、より直感的な理解が可能になります。特に異文化間の摩擦を減らす手段として、この技術が有効であると考えられます。

まとめ

これまで私が生きてきた生活では大きく様変わりするような出来事は少なかったように思えてましたが、結構進んでいるように思えてきました。
ボディシェアリングと日本語のコミュニケーションには親和性があると言えます。日本語が重視する「察する」「共感する」という非言語的要素は、ボディシェアリングの技術と非常に相性が良く、相手との深い理解や適切な距離感を保つための有効な手段として活用できる可能性があります。
昔、未来の生活でサザエさんで、TVで買い物ができるということが革新的でしたがもう当たり前になっているし、特に携帯は、家に直付けされている家電の一つでしかなったが一人一台(以上?個人と会社用)でネット環境にも適合している。ポケベルやピッチ、折り畳み携帯等、ボタンがあるものから今はボタンもないタッチパネル式に変化している。このボディシェアリングは逆に触れる感覚を再現する方向へと変わってきている。人間としては、ないよりある方をより〝らしさ”があるのではないだろうか。



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