#8 卒論必須だけど出さずに卒業できたINFP(仲介者)の私。
この記事のヘッダーイラスト画像は、
前回記事で紹介した推し様…
ねじる.aさんがX引用ポストしてくれたものを頂戴しました。
また、他の推し様のお一人が私の大学院中退ネタを楽しみに待ってくれてるようなので、今回書くことにしました。
このお題は大学4年時の話とセットなので、2回に分けて書きます。
背景
◆MBTIの表象◆
初見さん向けに私の気質をご紹介。
HSS型HSE(刺激を求める外向的な繊細さん)というHSPでもあるのですが、今回は、MBTIの特性の違う両面が出たと思う事例です。
私の基本的なMBTIは、
内向的、直感的、感情的で外交官タイプ。
4つ目が調整的か判断的かで、
【仲介者】か【提唱者】かの違いが出ます。
INFP【仲介者(乱気流型)】と、
INFJ【提唱者(思考型)】の両方である私。
・大学4年当時は【仲介者】・・共感・創造性を発揮
・大学院1年では【提唱者】・・理想主義が強く出た
もちろんMBTIというものを当時は知りません。
ですが、振り返るとこれらの特性がはっきり出た、そう思います。
◆3年時の選択◆
私の専攻学科は材料系。数人の留年組を含めて同級生20人足らずの小さいクラスでした。このとき今後在席する研究室を選ばなければならないのですが、研究室(ゼミ)は工学か化学かの2つかしかありません。
(私にとっては高校の時の文系か理系か、
大学進学時の国立か私立か、
・・てくらいの重みある選択)
シンプルに言うと、研究時の着衣が作業着か白衣かの違いです。
どちらの研究室の先生たちとも仲は良いですし・・内容的にはどちらも学びたかったんです。で、着回しやすいこと以外の不純な理由から私は作業着(工学)を選択しました。
(現在の妻・・
当時同級生の彼女がそちらに進むことと、
何といっても化学研究室は、
とにかくゼミが厳しく実験も大変なので・・
バイトに支障ありそうだから)
異例な教授指導の卒業研究
◆4年生(前期)◆
化学研究室(白衣)を選択した同級生は、3年後期から文献調査を進めながら研究を開始していました。もちろん実験に手間暇かかるという理由もあります。私は単純に早くやれていいなって思っていました。
(なぜかやる気満々だったので。)
工学研究室(作業着)の先生は今でいう働き方改革の賛同派タイプ。当時はまだそんな空気など世間にない時代ですけど。そこの教授だから卒業研究の指導着手も夏季休暇明け・・とのんびり。
(ちなみに数年後にはリスケされました。
私のせいでもあるのです・・)
誤解なきよう補足しますが、そうは言ってもこの教授は東京大学で助手(現在の助教)の経験を経て助教授(現・准教授)でこの3年くらい前に赴任して順調に教授になった年。退職した前教授も東大出身でいわゆる系列ポスト。業界でもそこそこ第一人者の様相がすでにある先生でした。
(メガネをした細身なエリート風)
卒業研究にやる気満々とはいえ、理系4年生の前期は授業(実習)も普通にあってレポート提出もたくさんあるし、泊りでの学外実習もあるなか、10月の大学院受験の勉強もしないと・・と、それなりに忙しいのです。
同室で先生の指導が早い学生は春から文献調査し、夏季休暇前から卒業研究を始めていたけれど、当時私は大学院進学しか卒業後の選択肢をもっておらず、そのことを教授も知っていたので、大学院の受験後から卒業研究に着手、と聞かされていました。研究がしたいというよりもHSPの私は就活する気になれなかったというのが正しいかも・・・。
(学費の半分をバイト代で支払っていた私。
進学してもそれは変わらないので、
親も本心は微妙でしょうが反対しなかった。)
◆4年生(後期)◆
大学院にも合格し、「これ読んでおいて」と文献も渡されたけれど教授がなかなか次に進めてくれない。追加で自ら文献を調査して入手し、チェックしたりしてもまだ着手できないまま・・ついに12月になった。
そこでやっと実験に着手。
「時間がないから詰めてやることになるけど・・」と担当教授が言う。
(あんたがテーマ決めかねて遅くなったせいやん!!)
・・とひそかに軽くだが思った。
同級生たちが卒業論文(卒論)を執筆中だった1月後半。
私だけは先月から慌ただしく実験を続けていてようやく終わりが見えた頃でした。突然教授が言う。
「私が責任持つから・・・
悪いんだけどテーマを変更させてください。」
(・・この人は何を言ってんだ!?)
と、思いながら・・・
「まさか今から研究テーマを変えるんですか?」と聞き返した。
教授はうなずいて言った。
「卒論発表会だけやってくれたら・・
卒業に必須の単位だけはあげるから変えさせて。」
2週間以内に卒論の中間発表日が予定されていた。
「その日はもちろん私は対象外ですよね!?」
と不安げに質問する私。
「そうなるよう、そこは何とかします。」と教授。
そこまで教授が頼むなら仕方ない、またテーマを変えてイチから実験することになるし、文献調査も同時にやらないと。
(卒論発表会の本番までは6週間もないのだ)
とりあえず1か月はひたすら実験し、残った実験は進学してからでいいと教授に言われたので1週間でデータを整理し、発表会の要旨資料を提出した。
(おいおい、発表資料を教授は確認しないのかよ!!)
・・と、今度はやや強く思いながら。
時間がないとはいえ私の提出資料だけ教授はノーチェックでした。
(不満あれど、そんなシナリオも想定にあったので・・・
一人で結果の統計分析とか勉強して、
それっぽくまとめておきました。)
功を奏して、同研究室の発表者の中では・・
私の発表が一番研究発表っぽかったと思いました。
こうして私は卒業論文を書かずに未提出のまま、卒論提出が卒業には必須の学部でありながら、前代未聞の卒業へと至るのでした。
<#9へ続く>