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  • 鶴居村移住&テレワーク推進協議会

    • 20本

    北海道阿寒郡鶴居村。人口約2500人の村ですが自然に溢れとっても豊かな魅力あふれる村なんです。2020年6月より村民として暮らし始めたので、鶴居村の様子や、これから鶴居村を拠点に自分たちがやっていきたいことなどをまとめていこうと思います。

最近の記事

文章は書けないものだから心配するな②

 前回の続きだ。「文章は書けないものだから心配するな」は、実際自分に起こったことだった。求められているかどうかわからないが(フランスで行方不明になったK君はよく前置きでこう言ったものだ)、説明することにしよう。  この2年半の間、きっちり9時には机の前に座って文章を書こうとするのだが、数行書いては先に進めなくなることを繰り返していた。自ら昼食を作りそして自ら食べ、またパソコンの前に座るのだが、一向に文章を書くことができない。端から見ると初老の男が日中3時間も4時間もパソコン

    • 文章なんて書けないものだから

      辺境日記 3月某日   最近発見した作家に、菅啓次郎がいる。同じ年代で明治大学の教授らしい。もうそろそろ最終講義をする年齢だろう。  エッセイ以外に詩集を数冊出版しているが、大学教授で詩人というのは、盗人でボランティアをやってるのと同じような胡散臭さを感じる。  彼がそうだというわけではないが、何人か大学教授で詩人という人が思い浮かんでくる。いや、アメリカの大学にだってその類の詩人はいるのだから、日本にいたって不思議ではない。いやいや、アメリカにいるからといって胡散臭い

      • AIの世界で日本は破滅していた

        辺境だより① 1月某日  能登半島地震で幕開けした2024年。地震が起きると津波や住民の安否と同じく関心が集まるのが原子力発電所(原発)の被害状況なのだが、これって冷静に考えるととても理不尽で馬鹿げたことだ。天災被害への対応だけでも大変なのに、人災でしかない原発事故に怯えなくてはいけないのってなにからなにまで狂っている。東日本大震災の後にも、日本列島では震度6以上の地震が30回近く起きている。その都度、近くの原発の放射能漏れを恐れなくてはいけない現実を受け入れろなんて、頭の

        • 小さな村で暮らす

           小さな村で暮らす愉しみの一つは、「センス・オブ・ワンダー」の感性がゆっくりとよみがえってくることにある。  「センス・オブ・ワンダー」とは自然の神秘さや不思議さに目を見はり驚嘆する感性を指す。こう定義したのは、自然保護運動のバイブルと呼ばれる『沈黙の春』の作者レイチェル・カーソンだった。子どもの頃はだれでもが等しくもっている感性だが、大人になるにしたがって次第に消えていってしまう。四方をコンクリートで囲まれた都会の生活では、周りに荒々しい自然が少ないため「驚嘆する感性」が芽

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        記事

          ツルイの小屋だより②

          ▪️某月某日  言い忘れていたが、ツルイの小屋は私設図書館の他に、今流行りの「ひとり出版社」も運営している。出版社名は厳奈那堂(ごんななどう)出版という。館主は流行りものにめっぽう弱いのだ。  既刊書籍は、写真集3冊、アートブック1冊、そして展示会図録2冊。図録は小屋ギャラリーで行なった個展をもとにしたものだ。写真集3冊は書籍コードも取得し取次を通じて書店流通もしている、というか「していた」。出版にそこそこ詳しい人ならわかると思うが、ほとんどの新刊書は1年も経てば店頭から

          ツルイの小屋だより②

          ツルイの小屋だより①

           ▪️某月某日   森と湿原の地に住んでいる。表向きには私設図書館を運営していることになっているが、開館休業状態で日々司書として、来るあてのない客を待ちながら机に向かい取りとめもない妄想を膨らませている。つまり表向きは暇な私設図書館司書だが、裏でも同じ暇な司書なのである。  人口2500人の村でそもそも私設図書館の需要などほとんどないことは初めから薄々分かっていた。村の図書館ですらそれほど使われていないのに、わざわざどこの馬の骨が運営しているかわからない私設図書館に誰が足を運

          ツルイの小屋だより①

          オススメの「地方本」

          「地方の時代」の理論書となるか? 『ポスト資本主義ー科学・人間・社会の未来』広井良典著  最近は「新しい資本主義」(某国首相の思いつきのキャッチフレーズ)で、俄かに資本主義が脚光を浴びることになった、ということは全くなく、古い資本主義がなんなのかも曖昧なまま新しい年を迎えようとしている。そこで資本主義をザックリ知りたいと思い本を探しても、なかなか良い本がない。いきなり『資本論』を読むわけにもいかないよね。そこでこんな本はどうだろう? 広井良典著『ポスト資本主義ー科学・人間・

          オススメの「地方本」

          移住の前に、村を知ろうー

          ◾︎村の財政状況​ ①「財政力指数」でみる  企業の姿を正しく見るためには、経営状態についての客観的な数値の分析が欠かせません。会社四季報などに載っている数値、あれね。ROA(総資本利益率)やROE(自己資本利益率)、EPS(一株当たり当期利益率)といった数字弱い人には頭がキリキリする財務指標ってやつで会社の健全性や成長性を推し量れるありがたい指標だ。普通の人にはあまり関係ないが、就職する人やお金を貸す銀行の人、そして株買って小銭稼ぐぞウッシッシ、っていう投資家さんなどに

          移住の前に、村を知ろうー

          鶴居村の移住関連記事が掲載されました

          「移住地として鶴居村」という視点で、今回北海道新聞に3回のシリーズで掲載されていてます。タイトルは「ツル舞う村 ゆったり暮らし」。 コロナ禍のもとですから、密ではないことがつまり過疎であることが、こんなに訴求力があるんですよ、という視点で書かれています。移住をこれから考えている人にとっては必読ですよ。

          鶴居村の移住関連記事が掲載されました

          オススメの辺境エッセイ

           題名は「ここは、おしまいの地」。帯には「文化も娯楽もない場所に生まれて」。著者はネットから出てきた私小説風エッセイストのこだま氏だ(たぶん道南で暮らしているのだろう)。前作のタイトルはエグくてここに記載できない(内容は切実なのですが)。  辺境で暮らす同時代の人々の思いは、なかなか伝わりにくい。平安時代に蝦夷に住む人々の生活や心情が宮廷人には理解するすべがなかったと同じことで、メディアが発達した令和の今日でも、やはり田舎の現実は届いてはいない。関心がないから? それもある

          オススメの辺境エッセイ

          DOOTOOスタイル①

           鶴居が位置する道東エリアは、夏は涼しく冬は極寒の独特な気候と日本離れした自然環境を有する地域として知られています。  日本離れした自然といいましたが、それには理由があります。今から4万年ほど前に始まる後期旧石器時代には、北海道はアジア大陸と繋がり、半島を形成していました。「古北海道半島」です。サハリンや千島半島、北アジアと類似した気候で、針葉樹林が植生のほとんどを占めていました。よく北海道は大陸的と言われることがありますが、そもそも大陸の一部だったのです! このアジア大陸

          DOOTOOスタイル①

          移住者インタビュー①板さん夫婦

           新型コロナがいっこうに終息の兆しを見せない中、都市部で人口変動が起きている。転入超過だった東京都の人口がコロナの影響受け、毎月3,000人前後の転出超過となっている。多くは千葉、埼玉、神奈川など東京近郊への移住だ。  しかしテレワークを勧める企業も増え、月に数度の都内出勤なら交通の便は少し悪いが家賃が安く子育てもしやすい都市部近郊に引越そう、と決断した勤労世帯が移動し始めているようだ。 そんな東京脱出組の中には、どこでも仕事ができるなら、いっそ「ど田舎」に引越そうと考える

          移住者インタビュー①板さん夫婦

          辺境と都会をかき混ぜる

           いきなりですが、移住について考えてみましょう。移住とは移動の自由があって可能となります。当たり前だ! すみません、ですが当たり前のことこそ、重要なのです。  この国では移動の自由は権利として保証されています(中国などは今でも田舎から都市への移住は制限されています)。つまり、どこに行き、どこに住んでも自由であり、誰に文句を言われることもない権利なのです。その結果どうなったか。  都市に人口が集中することになりました。 説明するまでもないでしょうが、都市には様々な機会があり、

          辺境と都会をかき混ぜる

          辺境について考える

           辺境とは「中央から遠く離れた場所、くにざかい」のことだ。例えば宮本常一の『辺境を歩いた人々』で取り上げられた辺境は、八丈島や北陸、蝦夷、沖縄などで、どれも中央から遠く離れている。ここ蝦夷はつい最近まで正確には日本に属していなかった事実に驚くべきだろう。  150年前にようやく和人が移住し始めた蝦夷、つまり北海道の、そのまた東のハズレに位置するこの地は辺境以外のなにものでもない。ということは、いまだ開拓途上だともいうことができる。戦後は終わった、かもしれないがこの地ではまだ

          辺境について考える

          ここは、なんて呼べばいいの? 2

           ここ鶴居村は酪農の村だから農村という表現が相応しいように思えるが、60数年前にここで生まれたものとしては、「陸の孤島」という当時の表現が忘れられないでいる。今ではコンビニも村の中心部に出店し、「孤島」という表現は相応しくないだろうが。   ネットで注文すれば宅急便がありとあらゆるものをすぐに届けてくれる。このサイトも光ファイバー環境が完備されているからサクサク見たり編集したりできる。便利この上ない。  しかしデニウス・ロキ(地霊)ではないが、この土地の歴史である「辺境性」

          ここは、なんて呼べばいいの? 2

          ここは、なんて呼べばいいの?

                        森の中を歩くと、よい考えが浮かぶものだ                        (15世紀の吟遊詩人)    田舎、地方、僻地、辺鄙、田園など都心でも郊外でもない、人口の少ない集落を指す言葉はいろいろあるが、どれもしっくりこないと感じるのは自分だけではないだろう。最近は差別的ニュアンスがあるということなのか「田舎」という言葉は公には使われる機会が少なくなっているようだ。地方というと地方都市も想像される上に、どこか堅苦しいイメージがある。僻地も

          ここは、なんて呼べばいいの?