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趣味の時間とごろごろする時間はなぜ別でないといけないのか


趣味を楽しむ時間と、何もせず寝っ転がる時間は別として考えなくてはならない。

それは何故か。

全く別物だからだ!!

少なくとも私にとっては。


例えば私の趣味を挙げると
・絵を描くこと
・映画を観ること
・こうしてnoteを書くこと

絵を描くにもnoteを書くにもデザインや内容を考えなくてはならないし、映画はストーリーを理解しようと考察したりする。
絵とnoteはアウトプットであり、映画はインプットであるからここも別々なのだけれど、それは一旦置いといて。
どちらも思考や感性をフル回転させるから、実はかなり消耗作業なのである。

だからと言ってじゃあやらない、とは誰もならないだろう。
好きでやってるから"趣味"なんだもの。

私が言いたいのは、
「趣味をする暇があるならごろごろすればいい」
もしくは、
「ごろごろする暇があるなら趣味をすればいい」
には決してならないということ。

どっちも別々で必要なんだ!!!!!

確かに自由時間という括りにすれば、同じなのかもしれない。
一日中ごろごろしている人間が、「最近趣味の時間がとれないんだよね」なんて発せば高確率で「十分できる時間あるじゃん」と返ってくるだろう。

時間はある、時間はあるのだけれど、そこに時間を割けない(割きたくない)状況が存在するのだと主張したい。
感性さえ動かしたくない、本当に"無"になりたい時間があるのだ。

少なくとも私には。(2回目)


それが仕事や人付き合いなど、外での時間に多く費やしてしまうとどうしてもシャットダウンしたくてごろごろ時間を優先してしまう。
ただ、そうすると感性を動かしていないので「何か楽しくない」「ワクワクすることがない」日常が出来上がるのである。


最近「めちゃくちゃ寝てるしダラダラ過ごしてるのに、どうしてこんな休んだ気にならないんだ?」とずっと思っていた。
究極の怠け者すぎて、人間向いてないんじゃないかとか思った。
これを読んでいる人の中で、同じこと考えている人はいないだろうか。
もしいるなら、私のように趣味とごろごろが別じゃないとダメな人間なのかもしれない。
どちらかの時間を十分に確保してあげられていないのかもしれない。

じゃあ半分ずつ取ればいいのか、と言われればそうでもない。
そこは人によって、ごろごろが3分の2ないとダメだったり、趣味が8~9割占めないとダメだったりもする。

とは言えこれらの時間を取るには、外の時間との調節も避けられないため、なかなか難しい部分もあるのが現実。
どうにかして趣味を仕事にできないか...とも考えるけれど、仕事でやるのと趣味でやるのじゃまた全然違うだろうなとか。

そんなことをうだうだ考えながら、今日はゆっくりnoteを書いて時間が過ぎていく。


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