noteをはじめて3か月
noteをはじめて3か月たった。
今まで書いてきたものを読み返して、ふと思う。
「なんでこんな怒ってんだ?自分」
怒っているというか、ムカついているというか、むしゃくしゃしているというか、とにかく溜りに溜まったフラストレーションが大爆発している。
「わたしはこう思うんだ!!!!」
「わたしはほんとはこうしたいんだ!!!!」
「わたしは・・・ここだぁぁぁぁぁぁ!!!」
ってかんじで大絶叫。気分は武道館ライブ。
でも実際はキャパ100くらいのちっこいライブハウス、みたいな感じ。(歌ったことないけど)
どろどろのぐにゃぐにゃにねじ曲がった想いを公共の場に吐き出して、冷静にみてみると「申し訳ねぇ・・」と思わなくもないが、「noteを始めた目的」はまさにこれだった。
一つ目に書いた記事。
「目的なんてわからないけれど、とにかく書いてみたかったんだ」。そう!まさにそれ!
なんかわからんけど、とにかく書きたかった。
とにかく、”だれかに話を聞いてほしかった”。
じゃあ、”なんでこんなに聞いてほしいんだろう”?
自分の想いを全世界にたれ流すなんて、冷静に考えたら「めっちゃ恥かしくね?」と気づいては、「いや、まぁまぁ・・でもそういうときもあるやん・・中二病みたいなもんやって・・」と見ないふりしてきたわけだが・・ここで改めて考えてみたい。
えっさほいさと記憶の地層を掘り起こしてみる。
すると、聞きなれた母の声が聞こえてきた。
「あんたより大変な人はいっぱいおるんやで」
*
私の母は、”聖母マリア、もしくは菩薩になりたい人”だった。
近所のおばあちゃんが「一人で病院いくの怖い」と言えばついていき、「電車賃がなくて家に帰れないんです」と言いながら、誰もが知っているブランドもんのバックを持つ怪しすぎる女性がいればお金を渡し、むりやり家に押し入ってきた訪問販売にだまされかけ・・(強制終了)
度が過ぎたお人よしというかなんというか。
とにかく、自分の体、心、そしてお金まで、なにもかも他人に捧げる人だった。
「人を幸せにすれば、自分も幸せになれる」
そう信じて疑わない母を、子供のころは”ただの優しい人”だと思っていた。
小学校の道徳の授業で習う”思いやり”。
「友達に優しくしましょうね。」
「周りの人のことを考えましょうね。」
これを忠実に守っているだけ。そう思っていた。
「なんか変やな・・」
そう思ったのは、たしか中学生のとき。
おなじ部活に、少しいじわるな女の子がいた。
気に入らないことがあると、取り巻きの女の子たちと一緒になって、人の容姿をいじってバカにするような、そんな子だった。
わたしも、その標的になっていた時期があった。
長く伸ばしたわたしの髪を見て「ちゃんと洗っていなくて不潔だ」とかなんとか、いま思いかえすと超絶しょうもないけれど、中学生にはけっこう堪えていた。(念のため言っておくが、髪はちゃんと洗っていた)
そのいじわるな子たち以外のメンバーとは仲が良かったのでなんとかやっていけたが、着実に、ふつふつと、ストレスは溜まっていた。
母に相談したのは、なんとなく思いつきというか、衝動だった。いま思えば、だれかに話さずにはいられなかったのだろう。
ささやかな勇気をふりしぼり、心配をかけすぎないように、日常会話にとけこむような温度でこぼしたわたしに、母は言った。
「その子もつらい環境やからなぁ」
そのいじわるな子は、母子家庭だった。
どっからどう繋がっているのかわからないママ友コミュニティというか、情報網によって、同学年のわたしたちやお母さんたち、ほとんどが知っている事実。
頭では理解できた。
お父さんがいないことで寂しい思いをしているだろう。忙しく働いているお母さんとは話せる時間が少ないのかもしれない。少しずつ降り積もっていく寂しさを、だれかにぶつけずにはいられないのかもしれない。
・・いまならわかる。
「寂しいのかも」なんて、ただのわたしの妄想だ。その子に直接聞いたわけでもないし、勝手にその子の気持ちを決めつけて。”無意識の差別”ってこういうことなんだろう。
でも、当時のわたしにはそれしかできなかった。
それらしい理由を並べて、自分を納得させないといられなかった。
わたしには、お父さんもお母さんも、妹だっている。家族は仲が良くて、体も健康で。
・・そうだよなぁ。わたしは幸せなんだ。
そう思わないと、ダメだった。
頭では”理解できた”んじゃない・・。
”理解させようとしていた”。
でも、心は追いつかなかった。
そうじゃない。そういうことじゃないんだ。
わたしはただ、話を聞いてほしかっただけなんだ。「辛かったなぁ」って、言ってほしいだけだった。
でも、それは言えなかった。
母は、”ときに暴力的なまでの優しさをもつ人”だから、そのいじわるな子の環境を、気持ちを、思いやらずにはいられなかった。
そうだ。それだけのことだ。
だったらわたしも、優しい人になればいい。
たとえいま、心がぐにゃりと形を変えていても、黙っていよう。
そう決意して、決壊ギリギリの真っ黒いマグマみたいな想いを、必死にのみこんだ。
これ以降も、同じことの繰り返しだった。
進路、人間関係、将来のこと・・どんな悩みを話しても、二言目には
「でも、あんたは恵まれてるほうやで」
あぁ、またこれか。
またくるぞ、お決まりのあのセリフ。
10回、20回、50回・・その回数が増えるごとに、わたしは、自分の気持ちを飲み込むのがうまくなった。
そして気づけばわたしは、母だけでなく、どんな人にも、”自分の想いを話せない人”になっていた。
*
結局は、自分で選んだことだ。
「話しても意味がないんだ」って勝手に諦めて、”話さない”ことにした。
「悩みがあったら話してね?」と言ってくれる友達にも、条件反射で「大丈夫やで~」と返し、お手本みたいな顔で笑えるようになってしまった。
そしてわたしは、うっすらと気づいていた。
話さないことは、ただの”逃げ”だと。
話して分かってもらえないことがこわい。
”しょうもない悩み”だと言われるのがこわい。
だから「どうせ誰もわたしのことなんか興味ないだろうし、話さなくていいや」って。
そう思っている方が楽だった。
だって、分かってもらえることを求めだしたら、たぶんキリがない。
わたしはきっと、だれよりも分かってほしい人だ。承認欲求がつよいかまってちゃんだ。
なんにも話さず、逃げるだけの日々を続けるうちに、じんわりと心の奥に潜んでいた”ほんとうのわたし”に気づいてしまった。
冒頭の叫び。
「わたしは・・ここだぁぁぁぁぁ!!!!!」
びりびりと体内を貫く”ほんとうの声”。
それを無視するのは、もうしんどい。
だから、不細工でもへたくそでもいい。
ちゃんと自分の声で、自分の想いを、叫んでみよう。
べつにわかってもらえなくてもいい・・いや、わかってもらえたら、めちゃくちゃ嬉しいけれど・・(本音)まぁ、それは一旦置いといて。
掘り起こした記憶のなか、真っ黒いマグマをのみこんだあの頃のわたしと、ちゃんと向き合って。
少しずつ、自分の想いを話す練習をしてみようと思う。
*
これを書きながら、改めて気づいた。
きっと母は、”わたしに幸せになってほしかっただけ”なんだろうな、と。
「人を幸せにすれば、自分も幸せになれる」
そう信じていたからこそ、わたしにもそうなってほしかっただけなんだ。
わたしは、母が大好きだ。
度がすぎるお人よしで、だれよりも自分を犠牲にして、そして、家族の幸せを想いすぎている母が。そんな母のことだから、きっと本気でこう思っているだろう。
「娘の幸せが、わたしの幸せ」
だったら、幸せになってやろうじゃないか。
そのための第一歩。
”自分の想いに向き合い、伝える練習”だ。
わたしは、ほんとうはどう思っている?
ほんとうは何がしたい?
そんなことを、ちゃんと紐解いていこう。
そしていつかは、ちゃんと母にも話してみよう。
*
ここまで読んでくださってありがとうございます。そしてそして、もし読んでくださっている方のなかで
「ほんとうは叫びだしたいことがあるけどガマンしている・・」
そんな方がいらっしゃったら、いっちょnoteをはじめてみてはいかがでしょう?
わたしも始めて3か月の新参者ですし、ごらんの通り、好き勝手にどろどろのぐちゃぐちゃな想いを叫んでいるわけですが・・それでも読んでくださる方がいたりするのです。(ほんとうにありがとうございます!!)
この文章だって、あとから自分で見返したら「うるせぇよ!!」ってなるんでしょうけど・・まぁ、それでもいいか!とりあえず書いてみるべ!と思わせてくれる包容力がnoteにはあります。
もし、どうしても踏ん切りがつかない時は、よかったらわたしのところに来てください。
かわらず好き勝手に大熱唱していると思います。
だいじょうぶです。
叫びだしたい思いを抱えているのは、あなただけじゃない。
仲間は、たくさんいます。