イライラを以て社会学をする
どどどどど
がっがががが
言葉が耳を伝い、頭の中に鈍くとげとげしい音として流れ込む。
今までもずっとこの不快な音と戦ってきた。
誰かに嫌なことを言われたとき。
友達が目の前で嫌みを言われているとき。
誰かの悪口を誰かが言っているとき。
この音を鳴らす者たちは往々にして
自分が客観的に見て、こんなにもひどい音を鳴らしている
ということに気づかない。
そんな時に私は自ずと、本に助けを求めてしまう。
小学生の時からの習慣である。
大学に入ってからは総合政策学部に所属していたということもあり、
社会学や心理学、倫理学、哲学、歴史、文学などなど
様々な本に触れるようになった。
特に自分が救われる思いになるのは、社会学の本に触れているときだ。
恋人に見た目のコンプレックスをふざけて何度も指摘されたことも
就活で言いたくない家族のことを訊かれたことも
性別を理由に私にとって不必要な心配をされたことも
この世の嫌なこと全てが社会学の中のテーマになる。
社会学を通して出来事を見ることで
自分に降りかかった嫌な出来事も客観視することができる。
すると、冷静に怒ることができる。
しかも、個人に向いた怒りではなく、社会問題への怒りになる。
これはとても良いことだと思う。
もしも、個人に向いた怒りで終わらせてしまえば
自分もその人の悪口をどこかで誰かに言って、何も解決せずに悪口を言うことによる快楽を得て終わる。
そんな醜く意味のない快楽に溺れるなんて、絶対に嫌だ。
だから私は、イライラしながら社会学をする。
大学を卒業してからの方がもっともっと社会学の必要性を感じている。
不快な音に立ち向かう手段は、イライラを以て社会学をすることに尽きる。
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