使えない知識を学ぶ意味とは?電車内で起きた試練を振り返る
皆さん、日々学んでいることはありますか?
その学び「活かせているな!」という実感はありますか?
私は、「活かせていないこともあるかもしれないけど、学ぶことを習慣にできていること自体に価値があるのではないか?」なんて思っていました。
が、本日、その学びを1ミリも活かすことができなかった体験から、迷いが生じました。
「私は何のために学ぶのだろうか…?」
「活かせない知識を学び続ける意味とは何だろう?」
🔷朝の通勤電車での緊急事態
先日、会社へ向かう通勤電車の中で私にとって緊急事態が発生しました。
電車内で、電車の乗り換えが分からない人達から声を掛けられたのです。
一人緊急事態。
正直、普通の人に比べて何故か異常に道を聞かれやすいタイプ?なので、こんなことは日常茶飯事。
なのに、なぜ焦り散らかしたかというと、いくつかの理由があります。
①予想外の状況での質問への驚き
電車の中、イヤホンで音楽を聞いているところで声を掛けられました。
なぜ私に聞いた?
②自分が知らないことを質問された困惑
質問された行き先の駅、私知りませんでした。
私は、自分が降りる駅より先にある駅には全く興味が無いのです。見るからに、鉄道に興味なさそうじゃないですか?
なぜ私に聞いた?
③突然始まる英会話にパニック
なんの前フリもなく、突如降り掛かってきた英単語。おぉ、そうですね。見るからに外国の方ですものね。
でもね、若くてデキるサラリーマンなら英会話なんて日常茶飯事かもしれませんが、こちとら見た通りの日本暮らしのアラフォーおばちゃんですよ?
なぜ私に聞いた?
何とか振り絞った答えは
「この電車、◯◯駅が終点です。次の電車に乗り換えてください。」
以上。
………日本語でも返せない質問を英語で突然振られては、日頃の学び等吹き飛びますよ……ねぇ。
🔷活かせなかった学びの振り返り
あまりにもお粗末な回答に、なりふり構っていられなくなりました。
最終的に、スマホの検索機能と翻訳機能におんぶに抱っこです。
私のなけなしの鉄道知識と拙い英語力を披露するよりも、スマホに答えさせた方が、よっぽど人助けになる。
プライドはかなぐり捨てました。
その結果。
困っていた迷子さん達は満面の笑みで「Thank you!!」と言って去っていきました。
私が細々と続けてきた英語学習ってなんだったんだろう…。
私が普段やっている英語学習は、
ヒントをもらいながら、単元の中からそれに沿った問題が出されます。
間違えても、繰り返しトライできます。
聞き取れなかったら何回でもリピートできます。
つまりインプットやノートや機械相手のアウトプットだけでは咄嗟に何も動けない。
ということが、よく分かりました。
🔷私にとっての学ぶことの意義
私は、SF(ストレングス・ファインダー)で学習欲が上位にくるほど、新しいことを知るのが好きです。
だから、好奇心が湧くことは損得勘定抜きで学んだら良いと思っていました。
が、ここまで何も身に付いていないことを体感してしまうと流石に考えを改めるべきかと思いました。
「実践に使えない学びは意味があるのか?」
きっと、学習する目的がしっかりあれば、仮に使えなくても学ぶ意味はあると思います。
歴史とかは、学んで即実生活に活かすというより、日々の営みの中で学んだ思考の積み重ねが何かに影響していく…くらいやんわりしたものだと思うので。
だから、学び=即効果が無いと意味が無いというのは違うと思います。
でも、それを自分が理解していて、他に目的を持っているならそれを明確にしていないと、今回の私のように気持ちがぐらんぐらんしてしまうわけです。
こういう学びって、誰かにお金をもらうわけでも、強制されるわけでも、褒め称えられるわけでもないと思います。
だからこそ、改めて「学ぶ意義」を決めようと思いました。