「羨ましい」という言葉(呪い?)を素直に受け取る
※今日の内容な、「努力できない環境に置かれている」方を否定するものではありませんので、初めに断っておきます。
20代の頃までは「羨ましい」という言葉が苦手でした。
「私なんて休みがほとんどない。休めて羨ましい」
「旅行に行けるなんて、羨ましい」
「ライブに行ってきたんですね。羨ましい」
「優しい家族に恵まれて、羨ましい」
などなど、「羨ましい」と言われると、後ろめたい気持ちになるというか、楽しむこと自体、結果を出すことに「申し訳なさ」を感じてしまうことがありました。
私にとっては、「あなたは恵まれている」と言われているようで、苦手 というか、呪いのように感じていました。
自慢になるような言動は極力控えるようになります。
「羨ましい」を検索すると、こんな意味のようです。
今思うと、後半の「ねたましく思うさま」ばかりで受け取っていたのかもしれません。
30代になって、センター長とか職能団体の役職などをする機会があり、ちょっとずつ受け取り方が変わってきました。
「30歳でセンター長って羨ましい」
「色んな取り組みをされていて、羨ましい」
「〇〇の企画があって、羨ましい」
など、相変わらず、「羨ましい」という言葉を聞かされるのですが、
「そりゃ相応の努力してきましたからね」
「動き続けてきた結果ですから」
「苦労して企画を練ってきましたから」
など、自分自身の頑張りの結果だと胸を張って言えるようになったからというのもありそうです。
あと、「羨ましい」という言葉は社交辞令的に使われていて、心から「羨ましい」なんて思っていないこともわかってきました。
あと、大事なのは「環境に恵まれている」ことも含めて「感謝」する気持ちですね。
「そうなんです。色んな人に支えられて」とか
「休みをしっかりと作ることができる環境で恵まれています」
と素直に言えるようにもなってきました。
上記のネット辞書の意味だと「他人の能力や状態をみて、自分もそうありたいと願うさま」という部分もあるようなので、憧れてもらっていると考えると励みになりそうですね(超ポジティブ)。
もし、
「羨ましい」という言葉について、私と同じような感覚の方がいらっしゃれば、
「羨ましいがられる私」を肯定する、素晴らしい時間を過ごしている自分を許してあげてほしいです。
本日は以上です。最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。
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