「ウィーン包囲とバタフライエフェクト」世界遺産の語り部Cafe #1
本日、晴れてブログを開設いたしました!
第1回目はウィーンのコーヒー文化にまつわるお話ということで、「ウィーン包囲とバタフライエフェクト」について綴っていきます。
第二次ウィーン包囲
トルコの前身である「オスマン帝国」が、現オーストリアの首都ウィーンを包囲した出来事である「ウィーン包囲」は、オスマン帝国最盛期の1529年、衰退へ向かう過渡期となる1683年の二度に渡って展開されました。
「第一次ウィーン包囲」は、ハプスブルク家の拠点で「神聖ローマ帝国」の首都であったウィーンに対し、オスマン帝国の‘’壮麗帝‘’こと「スレイマン1世」が圧力をかける目的で断行されました。
当時、「神聖ローマ帝国」国内ではルターに端を発する「宗教改革」に揺れていましたが、皇帝カール5世は「ルター派」を容認することにより結束力を高め、どうにか一度目の包囲は撃退しました。
「第二次ウィーン包囲」の際には、第一次包囲の教訓を活かしてウィーンの城壁を要塞化していたことによって、包囲はより長期戦を極めました。
パン屋の救世主とクロワッサンの始まり
連日の包囲戦が続くある日の夜、いつものように翌日の仕込みをしていたパン屋の主人は耳慣れない異音に気が付きます。
その異音とは、城壁の堅牢さにしびれを切らしたオスマントルコ軍によって、密かに壁内に侵入するためのトンネルが掘られていた音でした。
ところがパン屋の主人が急いでこの事態を報告したことで、待ち構えていたウィーンの守備隊によって敢え無く侵入は阻まれます。
パン屋の“ファインプレー”も手伝ってオスマントルコ軍はついに潰走し、二度目の包囲戦はまたも失敗に終わりました。
ウィーン市民は、このパン屋を称えてトルコの国旗を象ったパンを焼いて祝いますが、そのパンは「クロワッサン」の原型になったと言われています。
また、オスマン陣営が塹壕に残していったコーヒー豆を発見した「コルシツキー」という人物は、その豆を利用して“The Blue Bottle Coffee House”という名のカフェを開き、ウィーンにカフェ文化をもたらすキッカケとなりました。
まさかのバタフライエフェクト
こうしてウィーンは大ピンチから一転、「バタフライエフェクト」によって、二度に渡る包囲戦が結果的にカフェ文化を花開かせることになりました。
バタフライエフェクトとは、気象学者のエドワード・ローレンツ氏が行った“ブラジルの一羽の蝶の羽ばたきは、テキサスで竜巻を引き起こすか”という講演に由来する言葉です。
小さな事象を起因に、予想だにしない大きな出来事を引き起こす可能性を示唆する表現で、日本語のことわざで例えるならば「風が吹けば桶屋が儲かる」に相当するかもしれませんね。
ウィーン包囲以降、オスマン帝国は衰退の一途を辿り、城壁内に押し込められていた市街は急速に城壁の外へと拡大していきます。
古代ローマ時代を起源とし、「音楽の都」としても名高い【ウィーン歴史地区】は2001年に世界遺産登録されました。
ウィーン郊外にある世界遺産としては、【シェーンブルン宮殿】も有名ですね。
歴史においては少なくとも、かつてウィーンの街が窮地に陥った包囲戦は、大きなパラダイムシフトであったと言えそうです。
【ウィーン歴史地区:2001年登録:文化遺産《登録基準(2)(4)(6)》】