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「絶景のモン・サン・ミッシェル︰巡礼者とフランス史の見届け人」世界遺産の語り部Cafe #33
今回の世界遺産は、フランス🇫🇷の【モン・サン・ミッシェルとその湾】についてお話していきます。
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“海上のピラミッド”
「モン・サン・ミッシェル」は、対岸の町アヴランシェの岸からおよそ5キロ、砂丘にそびえる花崗岩の山に築かれた修道院です。
「ブルターニュ」と「ノルマンディー」の境に位置する、サン・マロ湾に浮かぶモン・サン・ミッシェルの立つ岩山は、かつてケルト人によって「モン・トンブ(墓の山)」と呼ばれた聖地でした。
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一帯は、フランスでも特に潮の満ち引きによる水位の差が激しい海域にあり、満潮時には島ごと海に浮いたような、世界でも類を見ない美しい景観を目にすることができます。
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モン・サン・ミッシェルの起源は古く、708年にアヴランシェの司教であった「オベール」の夢に「聖ミカエル」が現れ、“聖なる岩山”に聖堂を建てるよう告げたことが発端とする伝説が残っています。
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“聖ミカエルの山”を意味するモン・サン・ミッシェルの修道院の頂点には、この地を見守るかのように聖ミカエルの像が立っています。
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修道院の歴史は、966年にノルマンディー公「リシャール1世」がべネディクト会修道院をこの地に建てたことに始まり、少なくとも13世紀頃には現在の姿となりました。
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“驚異の建築”
モン・サン・ミッシェルを訪れる際、到着して最初に目にすることになるのが「哨兵の門」です。
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入口にあたる哨兵の門から90段におよぶ「大階段」を登って、内部へと入っていく構造になっています。
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この大階段を上り切った先に行き着くのが「西のテラス」です。
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四方を海を囲まれ、さわやかな風が吹き渡るテラスからは、西にブルターニュ地方、東にノルマンディー地方を見渡せる素晴らしい景観が眺望できます。
モン・サン・ミッシェルで最初に建てられた小さな聖堂の上には、966年の改築時に「ノートルダム・スー・テール聖堂」が建立されました。
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“スー・テール”とは「地下」を意味しており、その上層には三層構造から成る「ラ・メルヴェイユ」と称される修道院の居住スペースが建ち並びます。
“驚異の建築”を意味するラ・メルヴェイユは、中世における3つの社会的階層、ならびにキリスト教における「三位一体」を象徴するものです。
「ノルマンディー・ロマネスク建築」で彩られた建築物群が魅力で、中でも修道士の瞑想の場である最上層の「回廊」はゴシック様式における傑作です。
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聖地への巡礼路
“モン・サン・ミッシェルに行くなら、遺書を置いてから行け”
かつては、このような言葉が語られたほどモン・サン・ミッシェルへの巡礼は過酷なものでした。
スペインの聖地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に向かう、「フランス側の巡礼路」に含まれるモン・サン・ミッシェルには、古くより巡礼者が訪れてきました。
しかし、潮の満ち引きが激しいため、満潮時に海に飲まれ、命を落とす者も数多くいました。
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また、僻地であることから物資も乏しく、巡礼者に少しでも空腹を満たして欲しいと考えた、モン・サン・ミッシェル内にあるレストラン「ラ・メール・プラール」は、メレンゲをたっぷり使って嵩増ししたオムレツを提供しました。
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後にこのオムレツは、モン・サン・ミッシェルの名物料理となりました。
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海のバスティーユ
14世紀に始まり、「ジャンヌ・ダルク」などが活躍した「百年戦争」の時代、モン・サン・ミッシェルは防衛拠点として、城塞に使用されていました。
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さらに18世紀後期、「フランス革命」の頃に監獄として使用された時代には“海のバスティーユ”とも称されました。
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容易に人間が行き来できない環境であったゆえ、そのように軍事的・政治的に利用されてきた歴史もまた事実です。
モン・サン・ミッシェルはそうした意味で、単に観光資源としての需要に留まらず、フランスにおける重要な歴史とともに歩んできた世界遺産と言えるかもしれませんね。
【モン・サン・ミッシェルとその湾︰1979年登録/2007年範囲変更:文化遺産《登録基準(1)(3)(6)》】