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たい焼きを焼く女


この作品は2021年文学フリマにて販売した『ぶっとんでると言ってくれ』という短編集の中の一作品です。



「れ、列にお並びのお客さまー!混雑の緩和のため、代表者さまおひとりでおっ…!」


店の制服を着た私が行列の前に出てきて、大きな声で声かけを始めたので、列に並んだお客さんたちが一斉にこちらを見る。

目線がこちらへ、一斉に向いている。


「お、お、おおお、…だ、代表者さま、おっ…!おっ…!」


『お』から一向に言葉が進まない私を見て、お客さんたちは不思議そうな顔をしている。

そのまま突っ立って固まっている私に、くすっと笑う人も居れば「代表者一人だってー」とこちらが言い切らないうちに列を外れてくれる人も居る。


「…お、ねがいしまぁす」

誰にも聞こえない小さな声でそう言った私は下を向きながら店の中へ戻るしかないのだった。


「すみません、戻りました」

店長はこちらに目を合わせることもなく、「ハイ」と冷たい声で返事をするだけ。

店内の温度は40℃近く。緊張と暑さで制服のシャツは汗で背中に張り付いていた。



『列にお並びのお客さま、混雑の緩和のため代表者さまおひとりでお並びいただけますようご協力お願い致しますー!』


7ヵ月アルバイトしたこのたい焼き屋で、この声かけをどもらず、詰まらずにちゃんと言えたことは一度もなかった。

あまりにも私がちゃんと言えないものだから、そのうち店長も私には声掛けを頼まなくなったんだけども。



ここは松崎しげるもびっくりするほど真っ黒なブラック企業のたい焼き屋で、三十代半ばの女性店長は売上目標に追われて常にイライラピリピリしていた。


月間売上が足りなければ自腹を切ってたい焼きを買う。

人件費を割けないので極力人を減らして、いくら長く働いてもタイムカードを押すのは定時の時間。

系列店の店長は過労死で死にました。会社が揉み消したので、ニュースにもなりませんでした。



たい焼き屋さんなんて、同じスイーツの販売でも洋菓子屋さんよりものんびりしていているに違いない。

きっとスタッフも穏やかで和やかな雰囲気だろう。久しぶりのアルバイトとしては最適なんじゃないかな?

おしゃべりなんかしながら「全然お客さん来ないねぇ」ってパートのおばちゃんたちとお喋り、可愛がってもらってわきあいあい…。

なんて思ったのも大間違い。


特にこの店舗はチェーン展開しているエリアの中でも特に売上が良く忙しい店舗だったらしい。

入った日から丁寧に仕事を教えてもらえることなんてほとんどなく、パートのおばちゃんばかりかと思ったのも予想は外れていて、バイトで働いているのはみな学生の若い女の子たちでした。


バイトの女の子たちも、冷たい態度の店長を筆頭にみな作業のように販売業務をこなしていて、基本的にお客さんに対してもちょっぴり無愛想な子が多かったように思う。

女の子だらけのバイト先にしては珍しく、バイト同士で仲良く話している様子もなく、毎日が殺伐とした空気。



「いらっしゃいませ!おおおお、お、お伺いいたします、ハイ、つぶあんが二匹、カスタードが二匹、チョコレートが一匹ですね、えっと、あれっ、えー、しょ、少々お待ちください、先におおおお、お、お包みいたします…ので、しょ、少々お待ちください…」

「ちょっと!チョコは今すぐ出せるの無いよ!ちゃんとラック見て先に確認してよ!焼き上がりまでは5分かかるって伝えて!」


ミスして焦り、どもってしまう私、店内に響くイラついた店長の怒鳴り声。それが聞こえないかのように表情ひとつ変えずに作業を続ける年下のバイトの子。

せめてまずどんな店なのか先に見てからバイトの応募をしたらよかったというのに、25歳になってもそんなことにすら頭が回らない私。

バイト先選びも、今までの人生を辿ってきた道も、私はずいぶん間違ってしまったようです。



みなさん、たい焼きはお好きですか?

ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、たい焼きには「養殖」と言われるものと「天然」と言われるものとふたつ種類があります。


「養殖たい焼き」と呼ばれるものは、大きな長い焼き台にたい焼きの型の穴がいくつも並んで空いていて、そこに次々生地を流し込み、あんこやクリームを入れ、半分焼けてきたら反対側の穴にも生地を流し込み、両側を合わせ、一度に大量にたい焼きを作っていきます。

フードコートや縁日にあるのもこのタイプですね。見たことある方も多いんじゃないでしょうか?

養殖タイプのたい焼き屋さんでは細かな火力のコントロールができないので生地が厚くふんわりしていて、バラエティに富んだ中身を楽しめるお店も多く、天然ものよりも一匹あたりの値段が安いことが多いです。


「天然たい焼き」と呼ばれるものは一匹ずつたい焼きを焼いていくもので、焼きごてのようなたい焼き一匹の型に生地と中身を入れ、火床の上で直火で焼き上げていきます。(所説あるようですが)

天然たい焼きはどちらかといえば薄皮のパリパリ食感、一つの型で一匹ずつしか焼けないため手間はかかるものの、人気なお店も多いのだとか。


私が働いていたのは「養殖たい焼き」のお店で、一匹ずつ生地の厚さや餡など中身の量に差が出ないよう作らなければなりません。

型に生地を流し込むチャッキリという道具、餡やクリームなどを均一に生地の上に載せていく餡さし、餡へらの使い方に慣れて、一度に大量に綺麗に焼けるようになるまでには練習が必要で、数ヶ月の時間がかかります。


うちのお店では、最初は定番のつぶあんたい焼きの作り方から覚えていきます。

会社指定のグラム前後3gをOKとして、量りを使ってプラスチックの容器の上にまっすぐ適量の餡子を落とす練習から始めました。

最初の面接のとき、柔らかいクリームやウインナーの入ったものなど、どんな中身のたい焼きでも均一に綺麗な形で作れるようになるまでは大体半年くらいかかるよ、と言われていました。


ここまで読んで、たい焼きについて少し詳しくなれたでしょうか?

そうしたら今度は、断然天然たい焼きの方が好みの私…がたい焼き屋でアルバイトするまでの経緯を軽くご説明します。


2021年9月、私は地元の関東から遠く離れた田舎の街で、落ちたら途中で出っ張った岩にぶつかり即死できる!と有名な自殺スポットの山から飛び降りようとして通報され、警察に保護されました。もう人生で何度目か分からない自殺未遂でした。

今回こそ逝けると信じて疑わなかった私は持っていたお金を全部使い切っていて、所持金は約1000円。家なし。頼れる家族もなし。


服や下着、その他の物も全部捨ててしまっていて、持っていたのは身分証とスマホ、前にイベントで「やよいちゃんのファンです」とお手紙をくれた女の子が自死したあと、ご家族の方が製本したその女の子の書いていた漫画だけでした。


その女の子が最期にツイッターで「お友達いないから人生の最期までツイッターなの虚しい」と残していて、飛び降りる予定の場所で度数の高い酒を飲みまくり、同じくツイッターにぽろぽろと気持ちをこぼす他なかった私は、あの世なんてものがあったなら死んでしまったその子とお喋りがしてみたいと思っていました。

その女の子の漫画本だけは捨てられずに持って行ったのは、彼女が私の終わる瞬間を見守ってくれるような気がしたからかもしれません。

結局、彼女の元へ行ってお喋りすることは叶わなかったのですが。


それからの生活はというと、元よりツイッターから声をかけてくれて、その田舎の街で出張先のアパートに居候させてくれていた方が「とりあえず落ち着けるまでうちに来ても大丈夫だから」と言ってくれて、処方されていた薬を勝手に辞めていた離脱症状で身体も動かず、もう一度死のうと行動に移すにも体力も気力も無かった私はその言葉に甘えて頼らせてもらうしかなく、暫くその人の自宅でまた居候させてもらっていました。


もう少し体力が戻ってきたら、またそこから抜け出して自殺しようと思っていました。

居候先の方にお金を貸してもらって、当面の下着や服を数着買い、スマホの代金などを払わせてもらいました。日々のご飯も三食用意してもらって、寝床も貸してもらいました。今でもその人には頭が上がらない思いです。


自殺しようとしたときのツイッターのつぶやきを最後に何も更新されなくなった私のところには知人からたくさんのラインやDMが届きましたが「実は死ねずにまだ生きてる」と、誰にも連絡はしませんでした。

また死ねなかった自分が恥ずかしくて情けなかったし、また私、今度こそはきっと死ぬから、連絡しなくても一緒だろうと思っていました。


何もしないまま、一か月が経ちました。

幸か不幸か、人間は休んでいると、どれだけどん底のどろどろ、地獄のような精神状態に居ても浮上してきてしまいます。体力も戻ってくれば気力も戻ってきて、死ぬこと一色だった脳みそにまた色々な色が入ってくるようになり「死にたい」と思いながらもやれることが増えていきました。

いつの間にか私は、釘付けだった死ぬことからふと目線が離れていて、そうなると当たり前のことですが生活するのにお金が必要でした。


そうだ、近場でアルバイトを探そう。いま面倒を見てくれている人にも早くお金を返さなくっちゃいけない。働かなくっちゃ。

なるべく精神的に負担がかからなそうな、穏やかで、平和そうなバイトをしよう。

ここまで住まわせてもらって、食べさせてもらって、お世話になった分、借りた額よりも多めに返したい。少し気力が戻ってきたいま、私が出来そうなバイトといったら…。

借りている部屋にクイックルワイパーをかけながら、スマホで求人サイトを見ていました。



「山崎(仮名)さん!ちょ、ちょっとこっち来て!大丈夫!?」


アルバイト初日、店長から口頭で仕事上のルールや主に使うものの場所などの説明を受けたあと「何かあったらすぐに横から入れるようにフォローするから、まずはレジを覚えてみて。もともと学生のときに接客経験もあるってことだし、最初はお会計とポイントカードだけやってくれたらいいから」とレジに立たたせられた私は、自分が思っているよりも自分がちゃんと『精神障害者』であることをすぐに自覚させられることとなりました。


「い、いいいらっしゃいませ」とどもりながら発した声は震えていて、顔が熱くて汗が吹き出てきました。

緊張して指が震え、息が上がり、頭の中は真っ白です。


「ご注文お伺いします、って言って」

固まる私に店長が小声で私に教えてくれます。


「ごごご、ご!ごっ、ごっ、ごっ、注文お、お、あ、えっと、」

見かねた店長が「ちょっと誰かレジ代わって!」とバイトの子に指示を出し、バックヤードまで私を連れていきました。


「山崎さん!ちょ、ちょっとこっち来て!大丈夫!?ちょっと、一旦深呼吸しなよ、ほら落ち着いて、吸って、吐いて、ゆっくり。……元々接客の経験はあるんだよね?緊張してる?」

面接のときは「学生時代は飲食店で接客のアルバイトをしてました!接客業が好きだったので応募しました!」なんて調子の良いことを言いましたし、フリーターでシフトを組むのもスケジュールの融通が効くと分かった店長はその場で採用を決めてくれました。

でもこの時の怪訝な顔をしていた店長には「コレは採用ミスったな」と思われていた気がしてなりません。


正直、たかがたいやき屋でたかがアルバイトとして働くことがこんなに自分にとって難しいことだと思いませんでした。情けなくて恥ずかしくて、挙動不審に見られないようにしようと思うと、余計にどもったり、キョロキョロしてしまったりします。


その日はそれから生地作りを教わりました。卵1キロと7000mlの水を大きな寸胴鍋に入れて、工事にでも使うようなサイズのゴツい業務用の電動ハンドミキサーでそれを泡立て、後から粉を5キロ入れたら、ダマにならないようにまた電動ミキサーで混ぜ合わせます。

この時すでに焦って頭が真っ白だった私は、店長の教えてくれる生地作りの説明なんてまったく頭に入って来ず、そしてそこから何ヶ月も基本の生地作りの方法が曖昧なままにもう一度聞くこともできず、それからも暫くは「なんで山崎さんって生地作るのそんなに遅いの!?早くしてよ!」と怒られまくるのでした。



たいやき屋、というとほんわかしたイメージがあるのか、たまに穏やかそうな女の子が新しくバイトで入ってきましたが、殺伐とした空気、毎日常に忙しく店長の怒鳴る声が響く店内にすぐ辞めてしまう子がほとんどでした。

店長、社員、バイトの全員が女子なので男性の目を気にして変にいい子ぶりっ子する必要性もないからか、この環境でお店に残ったスタッフはみなサバサバとした態度の人が多く、若い学生バイトの子も自分の上がり時間が来ると「おつかれさまでーす」と特に話すこともなくすぐに帰っていきます。


バイトを始めるまではうっすらと「ここはまったく知人も居ない私の知らない土地だけれど、バイト始めたらランチ友達とかもできるかもしれないなー」なんて希望もありましたが、それもすぐに消え去りました。

ピリピリモード全開、毎日店長の怒りが爆発しているたい焼き屋…。

めでたい!と縁起物としてイメージされるたい焼きですが、実際に私がお客さんとしてこの現場を見ていたら、こんな店のたい焼きは食べたくなくなっちゃいます。


そんなことよりも、私は早く仕事を覚えてお金を稼がなくてはなりませんでした。

でも、縮こまった心臓で焦る私の脳内には、覚えなくちゃいけないことがスッと入ってこないのです。


同じ系列のたい焼き屋、数十店舗の中でうちの店の売上は毎月上位五店舗に入るほどの好成績でした。ですが、会社が各店舗の接客、品質調査のために覆面調査会社に依頼をして月に数人実際にたい焼きを買いに来て取ってもらっているアンケートでの接客の評価はというと、ほとんど毎月が最下位の店舗でした。

食べログなんかを見ると、店長の態度がひどい!なんて口コミがあちこちにあって、その店長に教わって育つバイトたちで構成された店ですから、そりゃそうか、とも思います。

店長の態度に「もう二度と来ませんから!」怒って帰っていくお客さんを何人も目にしました。

でも、一人一人のお客さんに丁寧に接して仕事をしていたら回らないほど忙しい店であることも確かでした。


このたいやき屋では、生地を作るための粉、あんこ、クリーム、などの一日の消費量はものすごい量でした。

補充のために重たい材料を運ぶことも多く、一箱10キロの餡のパックが入った段ボールをいくつも倉庫から店内にせっせと運び、積み上げてある段ボールを崩して後から発注した賞味期限が遅いものが下になるように並びかえ、使う分を補充して、とかなり体力も使います。

バイトを始めたてのころは体力が無く息があがってしまい、かなり時間がかかって「そんなに時間かけてやることじゃないから!」と怒られたものでした。


なんと言っても予想を超えて辛かったのは、大きな焼き台が常にフル活動しているため冷房をマックス19℃まで下げた冬場でも店内は常に35℃を超える暑さ、ご時世的にマスクも必須で息苦しく、バイトが終わるころには汗で下着が濡れていました。

うまく水分補給ができないと脱水でふらふらしてきてしまうので、毎日8時間のバイトでは3リットルのアクエリアスを飲み干していました。


まずはたい焼きを焼く「焼き場」ポジションではなく、最初にレジのポジションから覚えることになっていました。

たい焼き屋には繁忙期と閑散期があって、秋冬の寒い時期はとにかく忙しく、夏の暑い時期にはほとんど列ができることはなくなります。

私が入ったのがちょうど秋の繁忙期だったので、オープンしてから店を閉めるまで常に戦場、焼き場の人がフル稼働で焼き続けても人気の限定味や定番のつぶあんなどはすぐに売れるものがなくなって、焼き上がり待ちのお客さんがたくさん出るほどでした。


この状況だとゆっくりと色々な仕事を教えてもらうこともできず、空気も常に最悪でわからないことを聞くこともできず、私は入って3ヶ月ほどは、8時間中(ちゃんと休憩はありました)8時間ずっとレジで永遠に途切れない列をさばき続けることとなります。


お客さん側とビニールで仕切られたレジの中ではかなり大きな声を出さないと何を言っているのか両者共に伝わりにくく、加えてたい焼きを買いに来るのは少し耳の遠いご年配の方が多いこともあり、声を張り上げて接客し続けるのでいつも喉がやられて枯れてしまっていました。


いつでも混んでいるのでお客さん側も列に待たされてイライラしていることも多く、その場面でこちら側の声が聞こえなかったり、目当ての味のたい焼きが15分待ちだったりすると怒って帰ってしまうお客さんも珍しくはありませんでした。

そんなとき、私は必死で笑顔を作りながらも、お客さんの怒った顔が脳内に焼き付いてその後も憂鬱な気持ちを抱えながら仕事をしました。

人の怒っている顔というのは、私に大きくダメージを与えるものでした。


なんでたい焼き屋なんて入ってしまったんだろう…せめて応募の前にこの行列ができた店舗の様子を見ていたら…何度も帰ってきてメソメソと泣きながら後悔していたのを覚えています。


店長には何度も怒鳴られたし、睨まれたし、ありえない、といった表情で溜息をつかれました。

「やる気ないならもういいよ売らなくて!」

「なんで一度言ったことができないの!?」

「もういいからあっちで見てて!」

怒られる度に店長への恐怖心は沁みついてゆき、25歳の私は情けないことにいつも目が潤み、レジを打つ手が震えていました。


緊張から息苦しくなり呼吸がうまくできなくなるときも多々あって、見えないレジ下で手をグーパー、グーパーとさせながら自分に「大丈夫、大丈夫」と心で言い聞かせました。


「ポ、ポイ、ポポポイン、ポイントカードおおお持ちですか」

緊張したときに出る吃音のくせも相変わらずで、焦ったり店長が近くに居ると過度に緊張してしまい特にひどくどもっていました。

途中で分かったのですが、私は母音が『o』で始まる言葉が苦手なようで「お待たせしました」「お伺いいたします」「お待ちしております」「ご利用くださいませ」など接客業でよく使われる言葉には言葉の初めの母音が『o』なものが多く、何か言い換えられる言葉が無いか探したりして工夫しながらもかなり苦労しました。


学生のバイトの子がサクサクと仕事をこなしていく中、怒られ、ミスして、謝ってばかりの毎日。それでも辞めなかったのは『自分に負けたくないから』でもなく『続けたらこなせるようになれると思ったから』でもなく、店長が怖くて「辞めたいです」と言えなかったから、それだけでした。


ある日、バイトから帰ってきて居候させて貰っている家でシャワーを浴びていて壁に肘がぶつかったとき、自然と「あっすみませんっ!」と自分の口からすぐに謝罪の言葉が出ていました。

バイト中一人で倉庫にいても、家にいても、レジに立っていても、バイトの子から話しかけられただけでも当時の私の口からは「すみませんっ!」が出ていて、あぁ、きっとバイトの子たちも私のことをバカにして見下しているに違いない。変な、ポンコツでかわいそうなオバサン、と思っているのかもしれない。

そう思いながら、レジでお金に多く触れること、頻繁な手指のアルコール消毒、洗い物で水仕事をして、切れて血が出るほど荒れてしまった手にハンドクリームを念入りに刷り込んでいました。寝ても、接客でミスして怒られ焦っている夢ばかり見ていました。



「山崎さん、ゆき始めたんですか?」

バイトを始めて半年ほど経ったころ、大学生のスタッフの子に話しかけられました。ほとんど喋ったことの無い子だったので驚きつつ、今の季節は春だけど、ゆき?スキーとかスノボとかウィンタースポーツのこと?それなら誰かの趣味の話と間違えられてる?


焼き場でつぶあんのたい焼きの焼き加減をチェックしながら「いや、始めてないですけど…」と言うと、驚いた顔で「えっ、あ、そうなんですか」との返答。

なんだ?私があまりにも仕事ができないから周りのスタッフの中であることないこと噂が立っているのかな。え、それも趣味の噂?


そのときは全く気づきもしなかったのだけれど、帰ってからはっと気が付きました。あれは「ゆき」じゃなくて「焼き」だ!

焦ってスタッフとのコミュニケーションがうまくいかないことはたくさんあったけれど、「焼き」を「ゆき」とウィンタースポーツの趣味と勘違いしてしまったことがなんだか面白くて笑ってしまいました。

たい焼きを焼いている私に「焼き(ポジションも)始めたんですか?」と声をかけて「いや、始めてないですけど…」と返ってきたらそりゃあの顔にもなるだろうと思ったらおかしくて、自分のポンコツっぷりを開き直れたような気持ちになりました。


そこから何日か経って、またその大学生の女の子とシフトが被ったときに、今度は私から話しかけました。

「あ、あの、この間、焼き始めたんですか?って声かけてくれたの覚えてます?」

その子はすぐに思い出せなかったようで不思議そうな顔をしていましたが、私が「私、あのとき『焼き』を『ゆき』と聞き間違えてて。なんかウィンタースポーツでも始めたんですか?って意味かと思っちゃったんですよ。」と続けると、あぁ!といった顔をして「いや、焼きながら焼き始めてませんっていうから私もどういうことなんだろうって思って。でもなんかそれ以上聞けなかったんですけど。そういうことだったんですね」と笑ってくれました。


今まで、怖い、バカにされている、仕事のできない迷惑女だと思われている、と思っていたから周りのスタッフの人たちにビビッていたけれど、案外みんな喋ってみるといい意味で普通の女の子で、春になり気温が高い日にお客さんが途切れたりなんかすると、彼氏との喧嘩の話を聞かせてくれる子が居たり、バイト歴が長い子に、今まで聞くに聞けなかった仕事内容を「ちょっと聞くタイミング逃しててずっと分からなかったんですけど…」と店長が居ない隙に教えてもらうことが出来たりもしました。


相変わらずどもったり、焦ってヒィヒィ息をしながら震える指でレジを打ったりもしていましたが、少しずつ周りのスタッフともコミュニケーションがとれるようになって、一人のスタッフの子から「バイトだけのグループラインがあるんですけど、山崎さんも入ってもらってもいいですか?」と声をかけてもらい、グループラインに参加させてもらいました。

特にそのグループラインは動いている様子もなかったけれど、なんだかお店の一員として認めてもらったようで、すごく誇らしい気持ちでした。


働き始めて最初は「おはようございます」と店内に入ると甘いたい焼きのにおいを嫌というほど感じていたし、帰ってからも制服や髪の毛に甘いにおいが染みついていて、常に漂う甘いにおいに甘い食べ物を敬遠していた時期もありましたが、もうすっかり店内に居ても甘いにおいを感じなくなっていました。


種類の多いたい焼きごとの説明も覚え、迷うお客さんにも少しはスムーズにおすすめができるようになり、レジで声が伝わりにくくても入れ間違いのないよう、ラックのたい焼きを指さしながら種類を確認したり、例えば「二匹」と言う際には手で二本指を立てて見えるようにしながら確認したりと、色んな工夫をしながら懸命に働く毎日でした。

そして、そんな風に働けている自分が嬉しくもありました。


繁忙期が過ぎて、少しずつ店の忙しない雰囲気も落ち着いてきて、最初は焼き台で10匹全部が繋がったお化けたい焼きを作ったりしていた私も、まずまず綺麗なたい焼きが作れるようになりました。

なんとなくバイトメンバーの中にも話しやすいスタッフさんができたりして、人よりもゆっくりではあったけれど、仕事も一通り覚えてきたころのことでした。


「山崎さん載ってたよ、これ」

店長が店内の奥、洗い場の上の棚に張り出された一枚の紙を指さして私に言いました。


それは会社が依頼した各店舗の覆面調査で、輝いているスタッフとして投票された半年間の累計投票数の多かったらしい人の名前が数名分、その上には大きく『輝きスタッフ賞』と書かれていました。

うちの店舗では表彰されたのは私一人だけのようで、「笑顔で挨拶してくれた」「忙しそうに焦っていたが、丁寧に接客していて好印象でした」などのお褒めの言葉が毎月名指しで送られてきていることを教えてくれました。


必死で言葉を紡ぎながら自分なりにできる限り笑顔でやっていたつもりではあったけれど、自分は店のお荷物スタッフなんだとばかり思っていた私は、思いもよらぬこの表彰に驚きました。

ミスしがちで仕事を覚えるのが遅く、どもったりテンパったりすることはあっても、こうやって私の接客を良いと言ってくれる人も居るんだ、私は人から見てちゃんとやれているように見えていたんだ、ということが嬉しくて、そのあと休憩室で少しだけ泣きました。


情けなくて、怖くて、不安で、テンパって、傷ついて、自分が嫌で仕方がなくて、おにぎりを食べながら休憩室で声を殺して泣くことは何度もあったけれど、たかがたい焼き屋のたかがアルバイト、をこなせない自分はおかしい、ダメな人間だ、劣っている、恥ずかしい、と自分を否定してばかりだった私は、初めて「私、よくやってるじゃんなぁ」と自分を認めてあげることができました。



それからすぐ、5月になって急に気温が上がってきたころ。

週5日、多いときは6日、一度も遅刻せず休みもしなかったたい焼き屋でのアルバイト生活でしたが、ある朝アラームで起きると、身体の様子がおかしいのです。


私は毎年暑い時期に躁鬱の鬱の症状が出やすい体質でしたし、久しぶりのアルバイトに一生懸命になりすぎて疲れてしまっていた部分もあったかもしれません。


長いこと精神病を患っていると感覚で分かるもので、あ、これは鬱が来てしまったな、とすぐに分かりました。

歯磨きをして、少しメイクをして、畳んである制服を袋に入れて、支度をしないといけないのに、動けない。起き上がれない。

身体が普段の10倍ほどに重く感じて、脳みそがうまく起動しない。ブレーキがかかってしまったかのように頭の中でうまく思考が回らず、ただただ、だるく、苦しくて、しんどい。


30分ほど横になったまま悩んだけれど、どうしたって外に出られそうにもありませんでした。

この状態では電話をかけることはできないと判断し、店長にメールで「山崎です。具合が悪くどうしても出勤できそうにありません。お休みさせて頂きます。ご迷惑おかけしてすみません」と連絡をしました。


その日から私の身体はまたうまく動かなくなってしまって、結局その後も私がバイトに行けることはありませんでした。

店長には元々精神疾患があってその病状がぶり返してしまったとを伝え、先に入っているシフトで迷惑をかけて申し訳ないけれど、出勤することが難しい上いつ調子が戻るかどうかも自分でも分からないので退職する形を取りたい、という連絡をしました。


店長は「無期限でお休みって形で籍は残しておいて、いつでもいいから調子が戻ったらまた働きに来たらいいよ。エリアマネージャーも山崎さんのことすごく褒めていたし、せっかく仕事覚えたから、できれば退職じゃない形を取れたらいいなと思うんだけど。」と返信をくれましたが、実際いつ戻れるかも分からなかったし、人の目を気にしてしまう性格の私がこの店で仕事を続けていくことは、今の自分には精神的に負担であり、できないことだと判断しました。

制服をクリーニングして店に返し、店長に頭を下げて謝って、退職届を出しました。

この頃には、最初はただただ恐ろしい存在だった店長も「いつも怒りっぽくってごめんね、あたしあんまり感情をセーブできなくて」と申し訳なさそうに謝ってくれたり、私の頑張りや周りへの気遣いを褒めてくれたこともありました。


たかがたい焼き屋のたかがアルバイト、すら一年も続けられなかった私、悔しいけれどそれが今の自分自身なんだなと自覚するしかありませんでした。


子供のころ思い描いていた25歳の自分はもっと大人でしっかりしているはずでした。有名な製菓会社かどこかで商品開発みたいな部署に入り、新しいお菓子の企画を考えたり、パッケージのデザインで会議したりしているイメージがあったのを覚えています。

大学にも進学できなかったし、25歳だけど一度も就職なんてしてないし、たかがたい焼き屋のたかがアルバイトすら出来ないポンコツになってしまった私は、子供のころそんなイキイキと働く大人の自分を妄想する子供の私に、ごめんね、と謝ることしかできません。


たい焼きを焼く女は、たい焼きを焼かない女になりました。社会で活躍する人の一人には、もうなれないのかもしれません。親に言えるような仕事で、自分で飯を食っていくことは出来ないのかもしれません。


でも、この7ヶ月が無駄だったとは思っていません。居候先の恩人にも借りていたお金は全額、それに少し付け足して返すことは出来ましたし、時給1000円もないアルバイトでは頑張って働いても常にカツカツではありましたが、自分で働いたお金で生活していました。


店長や他のスタッフとのコミュニケーションでどう思われているか気になって被害妄想をしてしまい苦しんだ私、接客で笑顔が良かったと賞を貰えた私。

自分の中のできる部分、できない部分を今までより自覚することができて、今後自分が生きていく上で切り離せない「仕事」のことを考えるとき、この7ヶ月のアルバイトがなにかの経験として役に立つ時が来るかもしれない…し、別に全く役に立つことはないかもしれません。


急に辞めることになり、他のスタッフの方にシフトで迷惑をかけてしまうことは明らかだったので、グループラインに謝罪とお世話になりました、とのメッセージを入れて、すぐにグループから退会しました。

嫌な風に言ってくるスタッフさんは居ないとは思っていたけれど、返信で気を使わせてしまうのも申し訳なかったのですぐにグループから退会したのですが、個人の方で数人のスタッフさんが連絡をくれました「山崎さんと一緒に働けてよかったです」とか「バイト辞めたら逆にお互い何も気にせず話せるだろうから、元気になったらランチでも行きましょう」などと温かい言葉をかけてくれました。


たい焼き屋を辞めたら、過度に緊張することが無くなったからか、吃音の症状もかなり収まりました。やはり夏の間は調子を崩して苦しみましたが、秋になって涼しくなったらまた動けるようになってきました。


もう感覚はだいぶ薄れてきてしまっていますが、私、ポンコツ・やよいは養殖のたい焼きを焼くことができます。

何かイベントなどで、たい焼きのブースを出したいときはご連絡ください。

焼き台、チャッキリ、餡さし、餡へらなどの必要な道具、材料さえ用意してもらえれば、一日屋台のたい焼き屋くらいは出来るかもしれません。


そのときはぜひ私の焼いた、もうあまり綺麗な形じゃないたい焼きを買いに来てください。


「おおお、おっ、お、おひとつでよろしいですか」

と、たい焼きアルバイト屋時代のことを思い出して緊張した私が、どもりながらご、ごごごっ、注文をおおおお、お、お伺いします。




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