洞穴=原始信仰の形。
ハイサイ。
とにかく多角的に物事を捉える、五木田穣です。
昨日は、1日まいりに識名宮に行ってきました。
識名宮の本殿の裏には、洞穴があり、
1日と15日には中に入れるようになっています。
ちょうど6年前には、富士山の麓にある洞窟にも入っていたようです。
というところで、この穴に入るというのが、原始的な信仰の形であるという話を書いてみましょう。
この洞穴というのは、原始信仰の形で、
神社という建物ができる前は、こういった洞穴が信仰の対象でした。
神社といえば、本殿に向かう道を「参道」と言いますが、
「参道=産道」であり、神社のことを「お宮」とも呼びますが、
「お宮=子宮」であり、
「参道からお宮の中に入る=産道から子宮の中に入る」ことであります。
神社に参拝するというのは、母なる存在の中に入っていき、まだ生まれる前の自分、まっさらな自分と向き合うことになります。
神社の本殿の中には、御神体(=神が宿るもの)として「鏡」がありますが、鏡に映るのは「自分」です。つまり、鏡=神=私であり、人間としての物質的な存在ではなく、魂として、エネルギーとして、神の一部としての自分と向き合うのが、本来の神社参拝です。
そして、本来は洞穴の中で瞑想などをしていました。瞑想をすることで、ハイアーセルフ(超自我)と繋がり、深い存在である自分、内なる存在としての自分、神(サムシンググレート)と1つとしての自分から、メッセージが降りてきます。
神からのメッセージを御神託と言ったりしますが、神=私であり、私=仏であり、私=神仏であり、思考(=意識)の世界に支配されない、本来あるべき姿の私からのメッセージ、無意識の世界、それを受け取りに行くのが神社です。
ので、神社で思考にとらわれているのは、もったいないです。
意識しないで、感じるものを大切にする。それが大事です。
各神社には、いろいろな御祭神が祀られていますが、
それぞれの神の集合体が、大いなる存在、1つとしての神であり、
色んな神様がいますが、それは、どの側面から見ているかだけの違いであり、すべて1つ、同じ存在です。どの要素が強く出ているかだけです。それが、各神様の「ご利益」とか言われているわけですね。
そこの神社で、古来からよく願われていたことが、「意識=エネルギー」となり、そこの神社に参拝することで、そのエネルギーを受け取るという感じになります。
だから、古くから存在する神社の方がエネルギーが強いと言えますし、移転してしまった神社はちょっと違うんですよね。土地のエネルギーが変わるから。明治以降、移転している神社も多いですから、注意が必要です。
また、どんな人たちが参拝しているかで、その神社のエネルギーは変わっていきます。良いエネルギーの神社とあまりよくないエネルギーの神社がありますが、そういうこともあります。もちろん、どんな神職がお務めしているかでも変わります。
ちなみに、「ご利益(りやく)」とは、本来は仏教の言葉で、「幸福」を意味します。それを金まみれの世界では、利益(りえき)というようになったのですね。本来、利益は幸福のためにあるものであり、搾取の上に成り立つものではありません。自分が「得」するのではなく、自分の「徳」を積むことが、そもそもの「利益」なのです。
また、「祈り=意宣り」であり、「自分に対する宣言をする」ことが、本来の「祈り」です。瞑想してメッセージをもらうことも参拝ですが、逆に意識の世界を無意識の世界に繋げるというのも参拝です。無意識の世界にメッセージを送ることで、現実の世界に引き寄せが起こったりするのです。
かといって、祈って終わりでは現実化することもなく、思考は現実化すると言いますが、思考を現実化するように、自ら精進していかねばなりません。他力本願では、現実は変わらないのです。
現実は、自分が創っているもの。
未来は自分で変えられる。
未来は自分たちで変えていける。
平和を願う人が多ければ、世界は平和になっていきます。今の世界は、洗脳されて、あらゆることが仕掛けかれ、攻撃的になっている人が多く、争いが絶えません。
そんなものに惑わされず、自分をコントロールしていくこと。
私たちの意識、私たちの思考、私たちのエネルギーが、現実を創っています。誰かの意識、誰かの思考、誰かの価値観、誰かのエネルギーに惑わされないこと。
そのために、自分を立すること。律すること。自分に克つこと。
とにかく、自分を磨き、自分をコントロールしていくこと。
それに尽きます。
こういう話が好きな人は、「スキ」を押してください😁
反応が良いようであれば、コレ系の話もちょいちょい書こうかなと思います😁
それでは、またやーさい!
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