推し量るについて考えて見ました。

ついに9月になってしまいました。
ブタクサ花粉の方、ご無事でしょうか。腸内環境整えてサクッと乗り越えましょうねー。


さぁ今日は、友人関係、人間関係、恋人関係。
人と人が繋がりを持つ上で必ずしも直面する、“アノコト”について書きます。



皆さんの周りにも1人や2人、ここぞとばかりにきつい言葉を浴びせてくる人は居ませんか?



私も仕事ではそっちをしてしまう方の1人なので書きながらも胸が痛いのですが。



まず大前提に知っておいて欲しいのが、



“浴びせられる”


と、あたかも相手が悪者に聞こえますが、
浴びせられる雰囲気を作ったのはこちらであり、浴びせられていると受け取ったのもこちらです。されたくてしたって事を認識しましょう。


その大前提の次にやってくるのが、



果たしてその時、相手はその言葉を待っていたかどうか。
欲していたかどうか。



なんだか混乱してきましたね。



忖度をするとか推し量るとかそういう類の言葉になるのかなとは思います。




余談ですが先日、友人と推し量るについてだいぶ議論をぶちかましまして、私はさっき朝風呂をしながらこれが推し量るなんじゃないかと私なりの解釈が出たわけです。




少し前にもインスタグラムの投稿で
言葉で行くのか、行動で行くのか。その時相手は何を欲しがるんだろう。いずれにせよ、、、〜
読んでくださいこれです。

https://www.instagram.com/p/BwtuOeAFH2G/?igshid=nmkjg5bc6uc2

みたいな記事を書きました。


例えばもう、意気消沈状態でとにかく慰めが欲しいと思っている時に、慰めてよなんて言えるわけがありません。
もう折れかけまくっている心なんです。
とにかく大多数の慰めが欲しいわけです。
2000パーセント自分が悪くても、自分なりに反省をし、落ちるとこまで落ちたんです。這い上がるのに必要な手が欲しい訳です。



さて。あなたならそんな時どうするだろう。




今相手は何を求めているのか“推し量った上で”



強くきつくお説教をすることが相手のためと思うのか。


少し回復した時に一緒に答えあわせをしていくのか。




どちらが正解でどちらが不正解はないと思います。




ただ、できることであれば私は後者でありたい。




いつだって大好きな人を肯定し、(流石にそれは考えが違うなお思ったら私はこう思うと意見は述べるけれども)できる限りのエネルギーで背中を押して、一緒に考えます。




それは、相手のため、ではなく。
私自身のために。



言葉は消せません。


覆水盆に返らずというやつです。



言葉はいつだって凶器になります。




いつだって温かみのあるクッションにもなります。







何かにぶつかると、いろんな意見を聞いて一喜一憂したくなります。




自分とは違う価値を抱えている人間が物珍しく、美しく、正しいと思ってしまいます。


いつだって忘れないで欲しいことは、


誰もが“あなたのためを思って”言っているわけではなく“私の願望”として言っているという事です。



“こうしたほうがいいよ”(そのほうが私にとって都合がいいもんで。)



っていうのが隠れているわけです。



誰かの一言で傷つくのであれば、傷つかないで、肯定をたくさんしてくれて
お互いがお互いを大切にし個々として成立している人間を周りに固めていきましょう。




苦しみから解放されたい場合は、




苦しみから解放され、自由になる。




という覚悟が必要なんですね。



再三言っていますが、



あなたのためではなく、



自分自身のために。



自分自身を丁寧に扱うことこそが回り回って誰かのためになるわけです。



私自身に優しくあるために。





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あなたのサポートで私の未来が救われます。 大げさ大好きです。