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一人介護のライフハック⑦障害・難病者のきょうだいが親の介護をするとき

「介護に人生を奪われることなく自分の人生を生きよ」と教えた母

元気なころの母は、義理の姉妹である91歳の叔母と、長女である重度肢体不自由の姉のふたりの介護のキーパーソンでした。

母は若い頃から「将来は一人では介護を担えない」と常々言っていて、家はヘルパーさんやボランティアさんが始終出入りする環境でした。姉をしばらく施設に入居させていたこともあるので、施設がどんなところか?施設によって環境がかなり違うということもよく知っていました。

結婚して別所帯で暮らしていた次女の私に対しては、「介護に人生を奪われることなく自分の人生を生きよ」と教え、介護の担い手になった場合も一人でするな、社会サービスを適切に使うことを自分の姿を通して見せていました。

そういう背景もあるので、叔母はサービス付き高齢者住宅に入居、姉は長年自宅で同居していましたがアパートを車いす仕様に改造して引っ越しし複数の介護事業所と契約して24時間の大部分をヘルパーさんに入ってもらい一人暮らしをしていました。

そして、「自分自身(母自身)が病気や障害を持つようになったら、迷わず施設か病院に入院させて」と私に頼んでいました。私も当然そうするよ~と思っていましたが、現実はつらいし、これでいいんだろうか?と迷い続けました。

しかしフルタイムで働きながらの3人の介護はどう悩んでも物理的に絶対に無理。そこは、3人いることで逆に割り切って行動に移すことができました。3人のそれぞれの状況を客観的に見ることもできました。

コミュニケーションの難しさにダメージを受ける

覚悟はしていましたが、いざ母が要介護になると自動的に母が見ていた2人についても私が介護のキーパーソンになる、という現実は、想像以上にハードなものでした。週休2日の休みに3人を巡回して訪問するだけでも大変。

身体的な疲れもですが、私が強くダメージを感じたのは、3人の病気や認知状況は全く異なることからくる接し方や説明の仕方の難しさ、コミュニケーションの難しさからくる心の疲れです。

障害者の姉に母の介護を伝える難しさ

重度肢体不自由の障害児だった姉は50歳過ぎたころ、医学の進歩により稀な難病が見つかり、肢体不自由の原因がやっと分かりました。50年も経てばそんなことはもはやどうでもよく、迫りくる老いによる身体の衰えや認知症、それに伴う生活のしづらさのほうが切実。特に目や耳の機能の衰えが始まるとおのずと認知機能も低下してきた、と実感します。

姉のことを心配し続けていた母は、去年11月までは、姉のケアマネさんヘルパーさんと介護方針のミーティング参加や姉を入居させるかもしれない施設の下見にも一緒に行っていました。

それなのに1か月後の12月には母自身が要介護になってしまい、その時点で私は何が何だか分からない不安な状況に陥ってしまいました。

その母の変わりきった状況を、電話で姉に話して聞かせます。
「どのくらい状況を理解してくれるかなー」とドキドキしながら、一語一語ゆっくり区切りながらはっきりと。

すると、姉は「えっ?」としばらく絶句している様子。
次に、電話口で少し泣きながらこう言うのです。

姉:私が何もできなくて本当にごめん。妹に全部一人で負わせてごめんね…

思いのほかすぐに理解してくれた。
そんなつもりではなかったのに。ごめんって言わせてごめん。

私:大丈夫だから!心配せんでいいよ。一人でできるし、一人でもないんやよ。

こちらも胸が苦しくなる。
こんな切ない思いがオマケで付いてくるとは!
実は小学4年生ぐらいから「将来は私が姉の世話をすることになる。その時、自分の子どもをどうやって育てるんだろう?」なーんて漠然と考えて心の準備をしていたしっかり者の私。その私でさえ想定外だよ~

心のファイルに切なさの「別名保存」がたまる

さらに数日後。
母の今日の経過を姉に説明しておかなければ、と再び電話で話して聞かせます。「どのくらい状況を理解してくれるかなー」とドキドキしながら、一語一語ゆっくり区切りながらはっきりと。

すると、姉は「えっ?」としばらく絶句している様子。

私:ね、ね、お姉ちゃん。この前も話したよね?覚えてる?お母さんがわからなくなってて、徘徊とか認知症がでていることだよ。

姉:えっ?そうだった?そんなこと言ってた?

私:はい。あらら~全部忘れちゃってたのね…(脱力&笑)
カクカクシカジカ…と再び状況説明。

すると、電話口で少し泣きながらこう言うのです。
姉:私が何もできなくて本当にごめん。妹に全部一人で負わせてごめんね…

すごい。前回と一言一句おなじセリフだ!
忘れちゃってるのに同じセリフ言えるって、逆にすごい。

さらに再び、ごめんって言わせてごめん。
私:大丈夫だから、心配せんでいいよ。一人でできるし、一人でもないんやよ。
と同じセリフで答えるし、何なら再び涙ぐんでる私もなかなかのもんじゃ…(笑)

実にこの繰り返し応答を1か月の間に4-5回はやって、ようやく姉の記憶の中に「母の具合が悪いらしい」という情報が定着した模様。

毎回、同じセリフに涙してしまうほど、姉の気持ちは純粋であり、優しさに嘘偽りが無い。私の心の中に、この同じやり取りが「上書きして保存」出来たら少しは心が軽くなるんじゃないかと思う。でも「別名で保存」されてしまうので、だんだんつらくなってくるのである。

特別じゃないけど特有のもの

障害者、難病者ということで、子どもの頃は差別されたり特別視されてきました。姉も私も家族も。でも本当は誰にとっても特別なことではなく、誰でも事故に遭ったり病気や高齢になったりすれば「介護を受ける人」になるわけで、私自身、明日そうなる可能性もある。基本的には私はそう思っている。

でも、「自分一人で介護を担っている感」から抜けきらないイライラとか、「ごめんって言わせてごめん」という罪悪感とか。

変わりゆく母の状態や介護の大変さを一番に伝えたい、気持ちを分かち合いたいのは、2人姉妹の私のお姉ちゃん。それができなくて、でも温かい優しい気持ちがあることはわかっているから誰も責められなくて。ともに育ってきたきょうだいだからこそ拭い切れない「別名で保存」され続ける毎回微妙に違う複雑な気持ち。

これは、障害や難病者のきょうだい特有の「つらさ」で、一生持ち続けるもの。年をとればとるほど重くなってくるものだと感じている。

時には、ただただ笑っちゃうこともたくさんあるけどね!









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