noteを1年続けてよかった3つのこと。
しゅんしゅしゅんです。
noteを1年続けて、よかったことを書きたい。1年の続け方、書くこと自体の効能ではなく、1年続けてよかったことにフォーカス。
あくまでも僕のよかったことだが、ベースとして書くことが苦痛でないのであれば、わりと誰にでも当てはまることではないかと思っている。
noteを始めたばかりの方、続けるモチベーションが下がっている方、投稿がご無沙汰になっている方に読んでもらえると嬉しい。
1、人生の価値観がはっきりしてきた
ぼやぼやと日々考えていることは、書くことでシャープになっていく。
自分の頭の中にある考えを、頭の中からひっぺがす行為が書くことだ。一度ひっぺがしたものを、改めて自分の目で見て再び頭の中に入れると、自分の考えを客観的に考えられる。
「自分が考えていたことってこんなもんかよ。嘘だろ。」って目を覆いたくなる時もある。自分の考えなんて、何者でもないことをはっきりさせる苦しもある。
でも、その行為を繰り返すことで、次第に自分の価値観がはっきりしてくるものだ。自分の幸せの骨格ができてくる感覚。
そうなると、日々の判断というよりは、わりと迷いが生じる人生上の決断が早くなる。潔くなる。
僕は最近大きな決断をいくつかした。そして、しようとしている。
2、自分経典ができる
人間の記憶は頼りない。だから、忘れたくないことは残しておく必要がある。noteを1年間も続けていると、100以上の自分の内省が残っている。
いくら自分の価値観がはっきりしてきたとて、気弱な時、しんどい時、過剰なストレスがかかっている時は、道に迷いかけるものだ。
そんな迷った時に立ち戻れる先がnoteだ。自分が書いたことに、「ああそうだった」と教えられることがある。
自分の原理原則。自分教典みたいなもんだ。
3、成長を感じられて幸せ
書いたり、読んだり、やりとりしたり、毎日noteにふれている。結構時間を費やしているが、いまだ飽きていない。なんで1年も熱を傾けられているのだろうか。
それは、成長を感じているからだと思う。
どんな趣味もステキだが、成長を感じられるものはいい。「うまくなりたい」「負けたくない」と思って、現状を受け容れて、分析して、課題を設定して、工夫して試して、また結果を受け容れて。その過程で少しずつでも前に進むのは楽しい。
少しずつうまくなる、それが実感できる(スポーツなら試合、ブログならランキング、noteであればビューとかスキとか)。昨日の自分より進んだ気がする。この気がするが大切。気でいいのだ。
その過程への熱中の対象はなんでもいい。その過程がないと、瞬間は楽しくても、どこかで虚しさを感じる。例えば僕にとって、TV鑑賞は怠惰と浪費だけど、noteは集中と改善だ。(TV好きだから、ダラダラとみるけど)
その成長自体が人の役に立てるなら更にいい。
趣味のキャンプの様子をyoutubeで発信して誰かのキャンプがしたいって気持ちを駆り立てる。釣りの上手な人が釣りの仕方を発信して、誰かの技術が向上する。ゲームの得意な人が、eスポーツで人を熱狂させ感動させる。
なんだっていいけど、誰かの役に立てれば、それはいい。
成長と貢献、これは幸せの本質だと、僕は思う。
「書いたものを発信する」ということは、読んだ人の感情を揺り動かして、人の行動を誘発する可能性がある。つまり人の役に立つ可能性がある。
----------
二年生になって大きくなったから、もう少し行動範囲をひろげたい。
「noteで人生が変わりました」「本出せました」「仕事依頼がきました」「出会いがあって仕事につながりました」
二年生が終わるころのnote続けてよかったnoteは、そんな言葉で終わりたい。
note二年生。これからもよろしくお願いいたします。
では。
※「書くこと」自体の効能については、こちらのnoteをよんでもらえると嬉しいです。