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法鏡=汝自身を知れ

また(?)仏教ですが
「法鏡(ほうきょう)」という
言葉があるそうで

この言葉が発せられた経緯が
めっちゃ笑えます

こちらの記事を参考にさせていただいたのですが

釈尊が80歳、お亡くなりになられるそのご臨終にお弟子の一人が尋ねました。
「世尊、45年間、お説きくだされた、この教えを一言で表したら、なんとお呼びしたらよろしいでしょうか」
 
釈迦45年、7000冊の一切経の教えを一言で表せ、という問いは釈尊在世中に既にあったのです。しかもその問いはお釈迦様亡くなられる直前に、発せられたものでした。
 
その問いに釈尊は「汝らに法鏡を授けたのだ。仏教は法鏡なり」とズバリ一言で喝破されました。

仏教は法鏡なり。なぜブッダは「己を見つめよ」と説かれるのか

これ、ブッダの声を想像するに

「え?もう死にそうなときに聞くことがソレなのw?
しかも、これまで散々(結果7000冊分)しゃべってきたのに
ひと言であらわせって…集大成みたいでいいけどさ…
とはいえ相変わらず「ひと言で」とか、すぐ答え求めるよねw
まぁいいよ。ひと言ね
“法鏡”だよ」

すみません、全くの想像です!

以下の記事も引用します

お釈迦さまは晩年に、仏教とは法鏡だと言い残されました。
法鏡とは、真実の鏡ということです。
仏道を習うは自己を習うなりと言われるように、仏教には人間の真実の姿が教えられていますから、仏教を学べば学ぶほど、自分自身の本当の姿を知らされます。
鏡に近づけば近づくほど自分の姿がはっきり見えてくるように仏教を聞けば聞くほど知らされてくるのは自分の本当の姿です。
では、仏教という鏡に映った私たちはどんな姿をしているのでしょうか?
人間の真実の姿とはいかなるものでしょうか?

汝らに法鏡を授けるだろう

「いい?これまで話してきたことで
“自分が誰かわかる”からね
“これまで話してきたこと”を例えるなら
“真実の鏡”だからさ
覗き込んでよ
ってか、もう与えたじゃーんw」

なわけで

法鏡を覗き込んでいるものが
真実です
仏教を学んでもいるものが
真実です


「鏡」ってのが
ブッダのオシャレなところ

「真実の書だよ」とか
(「仏教」としてまとめられたのはずっと後だから、
「書いてある」とは言わないけど)
「真実を伝えたからね」とかじゃない

伝えたものを「聞く」だけじゃダメ
書いたものを「読む」だけじゃダメ

「鏡」だから
覗き込んで
真実を映し出す
という「行(行為)」が要る

それしてくれて
やっと完成


で、ここからが問題で


「鏡に映った自分の欠点が目につくでしょ?
反面教師にしてね」
じゃないから!!!!w


「鏡は3つあります。
その一つは他人を映す鏡、
そしてもう一つの鏡は…」
云々は複雑ですし
鏡いくつもいらないから
そんな難しいことじゃありません


どシンプルなんで
これを今日のメゾットとします

バカになるメゾット8日目
鏡を覗き込む


朝、洗面所で顔を洗って
顔をあげたら、否が応でも
映ると思いますが

何が映っていますか?
普段自分が思う
「自分」以外にも
後ろの壁などの背景も映るでしょ


普段自分が思う
「自分」含め
映っているものが
あなたです

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