利用
ACIMでもなんでも
それを「現実をかえることに利用する」必要はないと思う
利用にはならない、を
ありありとみることだから
誰かを説得する材料にもならないと思う
信じさせる手段にもならないし
理解させる教材にもならない
徹底的に夢だと
自覚するだけのものだと
割り切ったほうがいい
あなた以外はいないと
そして肉体を持ったあなたもいないと
夜眠りにつくことと
何も変わらない
フラクタルのホログラムを
ここかしこにみては
夢を見事に見抜く
ACIM的に話すけど
まず、なぜに自我ができたのか
それだけだ
なぜに精霊と自我があるのか
なんの勘違いをしたのか
魅力的に見えたものが
実は目隠しだったこと
それでいて赦されていること
そういえば
数ヶ月前に開催した「開いてシェアする会」で
Eさんが
「知人にACIMの話をしたら、洗脳だっていわれた」
「たしかに、いきなり初っ端から罪人扱いされることに違和感はあった」
というようなことを言っていた
今では、その意図もわかるけれど、とも
それぐらい
人はガチガチに夢をみている
このあたりは、歎異抄にも通ずるところがあるような気がする…
あ、脱線しそう
えっと
とにかく
人は簡単に夢をみる
眠る
それをゆさぶるのがACIMだ
だから
他人はしょっぱなから関係ない
利用できるとしたら
みることだけに有用で
だから「日々のレッスン」に最適だ
長くなるけど
もう一つ話すと
先日の「開いてシェアする会」で
Rさんがある男性の記事を紹介してくれた
とある男性は
ACIM実践者?学習者と出会って
ACIMとはなんぞやの説明を受けるも
「奇跡」とは相反するような「暗さ」を
その実践者から感じたとか、なんとか
で、さらに記事には
「奇跡のコースがあるなら、地獄のコースもあっていいじゃん」
みたいなことが書いてあったそうで
その話を聞いて、みんなでめっちゃ爆笑した
そうなのだ
ACIMの根底には
この壮大なるジョークを笑うことにある
だから
実践者や学習者は笑っているはずである
だから、記事を書いた
ある男性の指摘は
ある意味、とても的を得ているように感じた
ACIMの学習者にもつぐ
笑え