(連載91)自分と「スパークス」という唯一無二のバンドについて:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2017年
皆様ぁ〜〜〜〜!
1週間、どうも、お待たせいたしました!!
って、
誰も待ってない、、、、、?
今回も前回からの続きです。
自分の展覧会とバンドとランウェイ・ショーをやったというお話で、それを見にきてくれたという男性二人。。。。
それが誰かっていう。。。。そこからでしたね。
は〜い。もう、お分かりでしょう!
私のランウェイショーのオーディエンスの中にいたのは
スパークス!!
この写真のお二人、ロン・メイルとラッセル・メイルの兄弟であります。
彼らを、日本語で、ウィキってみましたら、
現在、2021〜22年の時点で、再々、再度、世界でブレークしています。
日本でも、今年の4月に、この2本が上映されました。
一つは『スパークス・ブラザーズ』
監督はイギリス人、現在ハリウッドでもイケイケのエドガー・ライト!
そして、もう一本はカンヌ映画際で賞を取りました、『アネット』
監督はあのフランスの奇才、レオン・カラックスです。これは、ミュージカルなのですが、音楽は全部スパークス!!原案からすべて彼らがやって、カラックスに持ち込んで実現したものでした。
読者の方は、こんな有名なスパークスが、なぜ、この時の私のショーに??
と、お思いになると思いますが、実は、この時が最初ではありませんで、
彼らは、私の回顧展、首輪の展覧会、マキシマム・ミニチュアのショーにも、顔を出してくれてたのです。
ずっとずっ〜〜〜〜〜〜〜1990年代まで、遡ります。
もともとのきっかけは夫のトッシュ・バーマンです。
この回顧録の90年前後にも、実名で度々登場してるんで、その頃の記事を読んでくれた方には、覚えていらっしゃる方もいるかもしれませんが。
イメージしやすいように、顔出ししときますねー。笑 これは現在。
その頃、つまり90年代の終わり、トッシュは、ブックスープという本屋で働きながら、自分でインディの出版ハウスなるものもやっていて、自分が大好きなフランスの50年から60年代にかけての、特にボリス・ヴィアンの本を片っ端から出版しておりました。ま、つまりはフランスかぶれってやつですよ〜。笑
その頃の音楽にも興味があった延長で、セルジュ・ゲンズブールの、彼が唯一書いた短い小説も出版しようと手を出し、
この本の、おすすめの文章を誰かに書いてもらう必要がありました。
そこで、ふと、浮かんだのが、スパークスのラッセルだったらしいのです。
ゲンズブールといえば、その世界での大立者!ラッセルはフランス語ができるし、書いてくれるのではないか?と、踏んだらしいです。
ただ、この時点では、どのようにすれば、彼にコンタクト出来るのか?のアイデアもなく、いろいろと考えていた矢先。。。。
なんと!!!
彼の働いていたブックスープに、
突然、ラッセルご本人が現れた!!!
奇跡!!!というか、こういうのを昨今「呼び寄せ」っていうんですかね?
この時はまだこんな言葉、なかったです。1990年ですから。苦笑
それで、トッシュはもう、一直線に彼に近づいて、自己紹介して、いかに自分がスパークスのファンなのかと前書きしてから、ゲンズブールの本の話をしたら、もう、すぐコンタクトのアドレスをくれたそうです。
すごいですね〜〜〜。
で、その紹介文は実現して、本も出版され、それ以来、頻繁ではないですが、コンタクトをとるようになったのです。
トッシュは、デビューした頃からのスパークスのファンで、オタク、いえ、博士号レベルでありました。
後に自分とスパークスの本も書いたくらいです。
この本は、スパークスがロンドンでやったコンサート、2008年の「21 Album and 21 nithts」を元にしています。
このライブが、もう凄くて、彼らの21枚目のアルバムを記念して、
それまで作ったアルバム21枚に収まっている曲を、全部!
連続21日間、毎晩、ぶっ続けで演奏!!
全部で200曲以上ですよ!!!
まったく、こんなことするバンド、他にいないですよね?
トッシュは、ロンドンにこの未曾有のコンサートに行き、最終日は、それまでのアルバム全てを燃やすパフォーマンスもあって、さすがに、目がウルウルになったそうです。
それで、この本は、自分の過去の個人的な思い出と、スパークスが歩んだ歴史を一緒くたにして書いた個人的なエッセイです。
上のは他社より出版されたものでしたが、自分では、以下のようなスパークスの歌詞だけの本も出版しました。
そして、彼は、何を隠そう、先ほどのエドガーライトの映画にも、5秒くらいですが、出演している!!!という、
自他ともに認められたスパークス・オタクです。笑
一方、私の方はと申しますと、なんせ
90年代は、絶望的なまでの音楽的貧困層の住民!!
90年代に自分で買ったCDは、たったの2枚です。
10年間で2枚ですよ!!(自慢してるわけではありませんが。汗)
ちなみに、その2枚は
ビースティー・ボーイズ=家の近くで、たまに見かけてたから。
ディガブル・プラネット=英語がわかりやすいから。
と、別に音楽的理由で、買ったわけではありませんでした。
なので、スパークスも、もちろん、名前は知ってましたし、たまにトッシュが聞いているのをそばで聞いたりはありましたが、正直、あまりちゃんと聞いてませんでした。汗
ところが、2008年、すでに彼らからしたら18枚目のアルバムの「ボウルズ」で、ダンサブルなビートがやたら頭に残るようになって、
しかも「ボウルズ」っていうタイトル?
複数形だし、、、
もしかして、これって、男性誰もが股間にお持ちの、あの部分の歌???
2曲目がセックスマシーンだし、、、、と、勝手に妄想しちゃって。笑
興味半分で自分でも聞くようになったんです。すでにスパークスのキャリアからしたら、30年経過の頃ですが。苦笑
そして、この次のアルバム、
Lil' Beethoven
「ちっちゃいベートーベン」
で、もう腰が抜けました!!
まず最初の曲が、"The Rhythm Thief" リズム泥棒、なのですが、
本当に曲にリズムがないんですよ!!
これって、コンセプチャル・アート??ですかね?
歌詞は当時クラブで盛り上がっていたイビサ島という街の、あかりが消えた〜と、スポークンワード(朗読)のようになっていて。
それからその次の曲は、
"How Do I Get To Carnegie Hall?" カーネギーホールまでの道のりは?
「その答えは、練習、練習、練習しかない、、、、」
まさにピアノのお稽古をやっているようなピアノをバックに練習を連呼するカーネギーホール練習曲!!
、、、、度肝を抜かれた。
他にも。。。
"I Married Myself" 自分自身との結婚
自分と結婚できてよかった。今回は失敗しないぞ。
キャンドルで乾杯だ!
ビーチを走るんだ!
と、歌詞だけきいたら、ナルシストの敗者の自虐ネタのようですが、
これが、ロマンチックなメロディーの美しいラブソング仕立てになっていて、パッときいたら、普通なラブソングなのだが、実は、とても寂しい一人ものの絶望の歌なのでした。
そして"My Baby's Taking Me Home" (彼女が自分を家に連れて帰ってくれてる)
これはもうスティーブ・ライヒの「イッツ・ゴナ・レイン」に匹敵するミニマル・ミュージック!!! ライヒのは政治色を帯びていたが、これは、"My Baby's Taking Me Home" という歌詞が延々と続く、もう胸がいっぱいになって涙がでる超絶ラブソングであった。
このような楽曲の作り方の豊潤さ、職人技、ラッセルの声、言葉のダブルミーニングが複合的に織りなす、幾つもの意味のレイヤード。
聞く人は、え?これって、ジョーク?って思わされてる間に、(もともとジョークそのものが意味のすり替えによるもの)気がついたら、実はものすごいエッジなところに、追いやられている。。。。
こんなポップソング群のツイストぶりに、もうやられてしまいました。
これは、現代音楽へのポップからの解答だ!!
と勝手に自分で定義し、
それ以来、大ファンとなり、それまでのアルバムを遡って聞いたり、歌詞に目を通し訳してみたり、トッシュ同様、もう自分のメンターなんて通り越して、神様、いや、それ以上の存在になってしまったのでした。
そしてこの20年間で、彼らのコンサートに毎回行くのはもちろん、自分のイベントも、毎回お知らせするようになり、彼らは時々ですが、顔を出してくれるようになった、、、というわけです。
さてさて、
ここで、前回の最後に戻ります。
自分の一大イベントが終わりました、、、。
まあ、いつものことです。その時は充実感満載なのですが、それが終わると、祭りの後、、、心にぽっかり穴があく。それが常でありました。
ところが、この時は違ったのです。
この時のイベントが終わった直後。。。。
スパークスのお二人が、この時のシスターズを見て、こう言ったのです。
次のショーの前座を、やらないか?
は?
な、な、なんですと?
い、今なんて、おっしゃった??
これは、もう絶対に夢だ、と思った、、、。
でも、一晩寝て、また確認したら、ホントだったんです。。。。
次回につづく。
L*