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2024年を振り返る・発達障害当事者会を立ち上げるに至るまでの道のり
発達障害ASDと診断されて早3年半。
今年2024年はオレにとってあまりにも濃密な年になってしまった。笑
発達障害の自助会さんに今年は主に東北各地計5箇所に参加させて頂き、オレ自身も「ウィズ」という名称で気がついたら立ち上げてしまっていた。
そこに至るまで、オレは幾度となく山を越えてきたような気がしている。
大きな出来事は2月、他県のADHDの当事者の方と出会い一緒に自助会をやろうと誘われるが価値観の不一致で挫折する。
この時点でオレには自助会を立ち上げることは絶対無理だと、立ち上げられるような器ではないと決め付けていた。
悲劇は更に起こる。
5月、それまで約2年半通わせて頂いた自助会スタッフの方から長時間の暴言、恫喝を浴びて人生で初めて「出入り禁止」というものを経験する。
このときスタッフの方より「お前は二度と発達障害の自助会に参加するな」とも言われた。
約2週間悩み、もう自助会自体がオレには必要ないと無理矢理言い聞かせた。
しかしそう言い聞かせてもそこの自助会で出会った人たちとの時間やひとときを思い出すと、オレには不必要だとは思えなくなった。
こうしてオレは東北各地の自助会さん複数箇所にお問い合わせをし、参加させて頂き、ついでにYoutubeも始めた。
1箇所の自助会さんにて半月だけスタッフに誘われ、経験させて頂いた。
しかしながらオレの障害特性が強くて続かなくて、そこの自助会さんには多大なるご迷惑をかけた。
そこの代表さんからは「主体性を持ち当事者の方と接すること」をご指導頂いた。
また別な自助会さんは、オレが出入り禁止にされた自助会さんとは全くスタイルの違う進行で当事者の方々に学びを提供していた。
そのスタイルに感銘を受けたことでそれを模倣し、また主体性についてご指導頂いたことを踏まえて9月、オレはウィズを宮城県仙台市内に立ち上げた。
当事者の方々と主体性を持って接するには、オレが1人で立ち上げた方が良いと判断した。
そして上述した、感銘を受けたスタイルを模倣としたスタイルでオレも進行するようになり、第1回の9月、悪天候の中いきなり2名の参加者の方がいらっしゃり対応させて頂く。
第2回の10月には6名、第3回の11月には10名満員御礼、第4回の12月は7名と、参加者の方々がたくさんいらっしゃりあまりにも上手くいきすぎて自分でもびっくりしている。
事故0、怪我0で主催出来たことも大きい。
その間ウィズを主催しながら他県の自助会さんにはゲスト枠としての参加を継続し、オンライン自助会にも今年から初めて参加するようになった。
また、ある1箇所の自助会さんで出会ったお笑い好きの当事者の方と発達障害コンビを組み、令和ロマンが連覇したM-1グランプリ2024の1回戦に出場した。
お笑いから足を洗ったはずのオレだった、二度と漫才はやらないと決めたはずのオレだったが、気がついたら相方に打診し、ネタを作っていた。笑
7月から始めたYoutubeでは気がついたら36本の自撮り発信、7本のインタビュー動画(発達障害当事者が当事者の方に、また障害者支援の専門家の方計7名の方に打診していた)、その他2本の特別動画をアップロードしていた。
インタビューで打診させて頂いた方々は、専門家の方お2名はXで繋がった方、当事者の方5名は自助会で繋がった方だった。
上記を振り返って強く思うのはやはり5月のあの自助会さんの合宿。
宮城県北の山奥の自然の家の中で悲劇は起こる。
オレはあの合宿の初日の夜にスタッフの方に、自分が話した、特性が強く出て感情コントロールが効かなかった出来事という内容にたくさんの求めていないアドバイスをされたことにより、話をした自分がバカだったと考えて聞かなかったことにして頂きたい旨を伝えた。
そこからスタッフの方の暴言、恫喝が始まったのだ。
オレは一気に具合が悪くなり、合宿2日目の早朝にキャンセル料を払うから最寄りの駅まで送って頂きたいと申し出た。
スタッフの方々はオレを何故か望んでいない県北の人里のあるところまで運ばれ、無言で車を停めた。
だがオレも早く逃げたかったからもはやどうでも良かった。
オレはスタッフの方々に「今までありがとうございました」と大きな声で挨拶をし、スタッフの方々は挨拶を返して頂けず、そのまま車を発進させた。
オレは車が見えなくなるまで頭を下げ続けた。
近くにバス停があったので自力で仙台までは帰れた。
あの合宿から始まった自助会遠征、自助会立ち上げ、M-1出場、インタビュー動画制作、たくさんの発達障害当事者の方や専門家の方との出会い。
あの合宿に申し込みしていなかったら上述した濃密な時間を果たして過ごせていただろうか。
あの暴言、恫喝をされたスタッフの方。
感情コントロールが効かなかったのだろう。
オレがだんだん気に入らなくなったのだろう。
さぞかし辛い思いをたくさんしてきたのだろう。
だけどオレはあの自助会さんのあの合宿にあのとき参加したからこうして今がある。
そのことにある意味感謝しているという話を、当事者の皆さんにいまだに話をすることがある。笑
最後にこれだけは言いたい。
一時嫌な思いをしても、それがどういう形でプラスに転がるきっかけになるかわからない。
チャンスや出会いは行動を起こせば、諦めなければ、必ずやってくる。
それをオレはこの2024年、強く感じた1年になった。