完全オレ流障害観43「ジャッジされることへの不快感」
昨日オレは大人の対応をした。
「ジャッジされたので少々気分を害しました。まあ誰とは言いません。誰が悪いとか悪くないとか特にそういうことではないので」と捨て台詞を吐いて帰宅。
特定するとその方が気に病んでしまうからそういうことはオレはしない。
だけど言うべきことは言わせてもらおうと考えてとっさに言い放った。
「ジャッジする」ってのは要するに簡単に言えば、衝動的になるからあんたADHDかもね、あんたフィギュア集めてるからASDだね、みたいなこと。
そんなふうなことを言われたら不快感を感じるものではなかろうか。
オレは物事に対してどこか舐めてかかる習性があるという話をこの間したかもしれないが、昨日言われたのは、
・出来るという思い込みによる衝動
・計画性の無さ
それらから来るチャレンジ精神。
また、
・衝動が強いからASDだけじゃなくADHDも入ってる可能性がある
的なことであった。
まあ、んなもんオレが一番わかってんだし、そうやってジャッジされんのが一番嫌いだという個人の感想。
何かにチャレンジしてみたくなるきっかけは人それぞれ違う。
オレみたいに「これだったらオレもちょっと練習すりゃ出来るんでねえか」って思ったらすぐ手を出してみる、そういうきっかけの人もいる。
オレの場合は、上手い人がいたら上には上がいることを理解して落ち込んでしまうことがある。
だけどチャレンジしなきゃそれすら気付けない。
だからそれはそういう意味ではプラスに捉えるんだが、上がいるとその上を目指したくなるのがオレの傾向。
そうして苦しんで、挫折して、それの繰り返しでこうして生きてきた。
上を目指すためには、他のことを捨ててその物事に注力し、時間と自分を犠牲にすると思うが、オレにはその覚悟が結局無い。
だからお笑いも続かない。
とりあえず持論を展開して知識をひけらかしたくなるのが発達障害者だって聞いたけど、んなもん発達障害じゃなくてもやられたら良い気分はしない。
計画性、か。
オレは計画を入念に立てることとそうでないことがある。
一時の話を聞いただけで計画性を指摘されるいわれはないと思っている。
あと今日お笑いに関してこんなことを言われた。
「スポーツで怪我した痛みは重大だけど、お笑いでスベったらそれを笑い話にすれば良い」
悪いけどオレにとってお笑いはそんなに簡単な話ではない。
転んだ痛みとお笑いでスベった痛みは比較なんかできてたまるか、と思っている。
例えば陸上は何回も走り込む。
野球は何回も素振りをする。
お笑いも同じ。
何回もネタを練習し、練り直す。
笑いを取る裏には、血のにじむ努力がある。
極論、笑いに変えれるのはプロ。
プロの芸人さんは恐らく仕事だからと割りきっている。
M-1の決勝で暫定ボックスで敗退したときの敗退コメントも芸人は必死で考えている。
勿論敗退しないに越したことはない。
ただそこからフリートークを買われて仕事が増える芸人もいる。
辛いこと、スベったことを笑いに変えることが簡単に出来る人はとっくにM-1で決勝行ってる。
いや、決勝行くような芸人ですら、一時スベったらスベり方次第では即笑いに変えられない芸人だっている。
スポーツで例えて比較するのはやめてくれと思った。
プロの芸人は仕事だから割りきって笑いを取る。
どんな仕事でも年数長い人ほど力量は高い場合が多い。
オレが上には上がいることで落ち込むのはあくまでプライベート。
仕事は割りきって、自分も高みを目指す。
生活がかかっているからってのもあるし、趣味とは話が違う。
だから比較なんて極論出来ないとは言いたい。