デンマーク滞在記⑤ 私が今回の旅を振り返りながら今感じていること
#生活様式としてのdemocracy
"democracy"の捉え方は各国で違う。日本は「民主主義」というと政治的なイメージを持つし、私もそう捉えていた。デンマークには150年以上かけてデモクラシーを徐々に熟成させてきた歴史があり、「人は母乳からデモクラシーを授かる」とか「デンマークの子どもたちには、誕生日祝いにデモクラシーが贈られる」という言葉があるそう。この旅を通して、この”democracy"の捉え方が抜本的に私の中で変わっていった。
特別支援学校で話してくださった海老原さんが「普段着のデモクラシー~人々が”しあわせ”といえるわけ~」という本を紹介してくださり、それにデモクラシーについて書かれていたので、それを参考・引用しながらデモクラシーについて書いていく。
デンマークはナチスに占領された歴史を持つ。そしてデンマークには教育思想家グルントヴィーとハル・コックという人がいた。ハル・コックは戦争の起きない平和で豊かな社会を構築するために、人々はデモクラシーをどう理解し、いかに社会活動に参画すべきかを『デモクラシーとは何か?』という本を出版している。彼はこんな言葉を残している。
デンマークでは、街中出会う人やエグモントホイスコーレによ~くよく”Do you need a help?”と聞かれた。視察した3校の先生たちは、自分の学校の説明をする際に、障がいのある人の理解やケアよりも、”socialize”や“すべての人にとってのよき人生の実現”をまず語っていた。特別支援学校では、多様な専門性を持った人や保護者が子どもの成長発達について対等に話し合い協働するという文化があった。
子どもだから、ケアしないといけない人だから気を遣ったり、とか、障がい者のために~する!、とか、年齢上だから敬わないと、とかではない。社会を構成するすべての人は自分らしく生きる権利がある。自分の意見をまず尊重され、表明することができ社会や環境に参加・参画できる。社会を構成する一員同士、互いの存在をリスペクトし、その前提があった上で困っている人がいるなら動き、仕組みがある。democracyの土台の上に子ども若者政策があり、学校があり、障がい者に対する支援がある。医療、教育、福祉というカテゴリーも独立しているものではない。すべてdemocracyな社会の実現に向けた手段。
そしてdemocracyを自分の生活の中に、関わる人とのやりとりの中に、チーム作りの中に、保育の中に。どう取り入れていこうかな。
#もっと多様な専門性を持つ人が子どもに関わる仕組み、必要じゃない?
特別支援学校で知ったteacherとペタゴーの役割分担の話、理学療法士、心理士は常勤であり、定期的に子どもに関わる人が集まりフラットに議論がされていることがすごく印象に残った。
私は教育学部在学中、先生になろうか考えていた時に「学ぶことや学校に行くことに対してなんらか課題感を抱えている子がクラスには必ずいる。今の私が先生になったとしてもきっと授業をするのに必死でその子たちの支援までできないだろうな」と思って新卒で先生になるのをやめた。
デンマークの特別支援学校でteacherとペタゴー、理学療法士と心理士が常勤である状態を知って、そもそも今の日本の学校で子どもの支援体制って整っているのか?と感じた。
多角的な視点で子どもの成長発達を見守る仕組みは今日本にはあるのだろうか?すべての子どもたちがこれがやりたい、友達と遊びたい、もっと遊びたい、自分が好きなことを見つけていくための経験をしていく、それを実現していくために、多様な専門性を持つ人が子どもと関わることを通して子どもの全面的な成長発達についてサポートできるような、そんな仕組みは必要なんじゃないのか。
#余暇から始めたい
デンマークの至る所にベンチやソファ、人が話し合ったりする場所には飲み物が飲めるようにしていたし、出してくれた。
エグモントホイスコーレンでは試験も宿題もないからか、散歩したり授業で教わった裁縫で自分のための帽子を作っていたり、フリーな部屋でゲームしたりごろごろ寝っ転がったり、リラックスしてその時間をたっっぷり味わっている様子があった。圧倒的に「これは文化だな」と感じた。
私もエグモントにいる時にアクティビティとご飯までの時間があった時、シェアメイトのみなさんと「せっかくだから海入りたーーい!」と海にどぼーーんと飛び込んだり、飲み物をもってベンチで沢山話した。リラックスすること、自分が未来のことややらないといけないことなど考えずに心からリラックスして一人でだったり誰かと楽しむ時間はすごくすご~~く心地よかった。早速部屋に軽井沢でいただいた絵ハガキを飾った。