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祈りと許し。そしてお洒落

この言葉は、最近自分磨きに励んでいる自分に深く刺さった。
その通りだと心底思う。

私は今まで、この年になるまで、自分自身のことをお洒落することを許されていない人間だと思っていた。それは他人から向けられたものでもなく、他人に思うものでもなく、自分自身の戒めというか、私という人間の根幹に自己否定というものが物心ついた時からあったからだろう。
早い友人は小学生から服に気を使っていたのを思い出す。
私自身そういう格好をかわいいな、きれいだな、と思うことはあれど「着てみない?」「お揃いにしよ」「似合うと思うよ」と誘われても、勧められても首を縦に振ることはなかった。
だってそれは許されないことだから。
誰に、というわけではなく自分が許せなかった。
こんな私がそんな着飾るなんてみっともない。弁えなきゃ。かわいくないのに、そんなことするなんて恥ずかしい。身長も高くない、みんなみたいに細くない。自信がない。笑われる。きっと噂される。馬鹿にされるに違いない。
そんな過剰な自意識と自己否定とに苛まれ、他人を不可にさせない最低限度の身だしなみのための服装しかもっていなかった私は、今ようやくおしゃれを楽しめるようになった。

あんな髪型してみたいな。あの色の服着てみたいな。
今まで見ないふりで誤魔化してきた自分というか、おしゃれに興味のある自分がいていまさらながら驚く。
自分がおしゃれをすることを許す。自分が楽しんでいることを許す。
少しでもましになれば、と思っていた義務が
少しでも気分が上がる服を着て楽しむ、という祈りのような娯楽にかわる。自分が日々楽しく過ごせるように、という祈りに。


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五月
もう、よくわかりませんが生きています