卒業論文に対する後悔とか反省とか学年別に(多分)やるべきこととか書くよ。
タイトル通りだ。
卒業論文は「弱さの露呈」
卒業論文を書き終わった身として、絶対に思うのは「書き直したい」である。
「書き直したい」とまでは言わずとも「あの時、あの部分で、もっとこうしてたら」的なことは、思うものである。
だが、卒業論文は、如実に自分の姿が現れる。未熟な部分も、優れた部分も、サボった部分も、誤魔化せずに全て出る。そして、そうやって露呈することに、卒業論文の1つの意味がある。
自分の弱さを知れること、そのうえで、次にどこへ向かうか、考えるきっかけになること。これが、卒業論文で得られる、大きな価値である。
しかし、どうしても思ってしまう。「あの時こうしていれば」。後悔である。
この後悔を書くことで、何か卒論を書いている人、大学生活を始めた人に残せればと思う。過ぎた人の持つ役割は、伝え、祈ることである。ここで色々伝え、皆様のよりよき学部生活を祈る。
1回生:卒論とか頭にないほうが、むしろいい。
まず、1回生の時。この時の自分には、後悔はない。
そのため、「こう過ごしたから、卒論によかった」的なことを書いてみたい。
自分は1回生の時、卒論が何たるかをまるで理解していなかった。
論文には、目的があり、そこに特定の方法と作法でアプローチしていく、ひとつのきまった流れがある。
このことを早々に理解している1回生である場合、様々な分野に興味を広げすぎず、特定の分野に狙いを定めて知識を把握するだろう。
しかし、これをやると、良くないと思う。なぜなら、自分の興味が狭くなるからだ。
最初に「自分はこれについてしか興味がない」と決めてしまい、それについての本ばかり読むと、あたかも「この分野以外、自分に共鳴する分野はない」と勘違いしてしまう。
高校生までの段階で、自分の興味関心を、明確に言語化できる人間は少ない。大学生活終わっても、しっかりできない人が大半だ。僕もできない。
はっきり言うなら、高校を出たばかりで(そうじゃなくとも、大学入りたてで)自分を分かった気になりすぎるのは、あまりに危険だし、生意気だ。
大学入りたての頃は、自分が何者なのかまるで理解できないと、旅に出る前の少年のように、無垢でいるのがいい。
無垢なりに、制限を設けず、いろいろ読んで、いろいろやると良い。本だけに限らない。自分に波長の合う人間は、どんなコミュニティの人間か。どういう教授が、自分の感受性を揺さぶるのか。どんな事をすれば、自分は気持ちがいいのか。
何も決めず、本能のままに、様々なモノに自分をぶつけてみる。そして、ぶつかった後に、自分はどんなリアクションをするのか。それを楽しむ。
僕は、この時期、素直だった。
2回生:ひとつの道に入ることを「なんとなく」意識する。
自分は1回生のテンションで3回生序盤まで過ごした人間なので、少し落ち着きがない。だが、2回生後半から3回生中盤くらいまでの段階で、ある種の「落ち着き」が求められてくると思う。
「落ち着き」とはすなわち、ひとつの道に入り、そこを歩いていこうとする態度及び感覚。
具体的に言いますごめんなさい。1回生の時、様々な経験をしたとする。いくつも本を読んでいくが、どうも犯罪者のルポや、犯罪学の質的な調査資料などが面白いと感じる。ハワード・ベッカーが面白いと感じる。歩きタバコが気に食わないけれど、そもそも自分は有害な大気を否応なく吸わされているかもしれなくて、「なぜ副流煙だけ?」と疑問を抱く。コンビニバイト先で窃盗をした老人が、涙を流し、それに心揺さぶられる。テレビで特集された殺人犯に、どこか通ずるものを感じる。etc
雑に積み上げてきた経験の中から、「なんか共通してね?」という筋(=道)を見つける。上記のケースは僕の話なのだが、「犯罪」、「逸脱」が筋としてあるだろう。この筋を、ぼんやりでいいので見つけてみる。
その筋を意識しながら、再び経験の連鎖の中に、身を投じていく。そうすると、これまで何気なく見過ごしてきた景色が、違った色と言葉で、自分の中に入ってくる経験をする。人生で1, 2回経験できるかできないかの、ビッグイベントであると、僕は思う。
3回生:筋、一貫性、「何を積み上げるか」。
2回生までは、自分の中でモヤモヤしていていい。
話すにしても、友人くらいだろう。「自分はこういうことを考えていきたいんだー」、「自分はこれが気になっているんだー」と、ふわふわ共有する。
しかし、(僕の場合)3回生からゼミが始まる。教授と対面して、ふわふわ話すのではなく、はっきりと言葉を完成させながら、伝える。
「私がこれを調べてきたのは、これに興味関心があるからです。ここを追究していくのは、こういう必要性からです。」
卒業論文で何をやるかまでは、必ずしも確定している必要はない。
しかし、ここで道を変えるのは、2回生の時ほど簡単にはしちゃいけない。
なぜか。まず、絞ってたくさん読んだ方が、卒業論文を書くのに役立つから。そして、教授が困るから。「今回は前の続きで…」という流れを汲んで、教授も同期も、先輩も話を聞いている。
テーマなどが変わっては、「この人は何がしたいのか」を把握しづらくなり、彼らも「何を言えばいいのか」が分からなくなる。
卒業論文を書く際に他者からの助言は必要不可欠だ。しかし、テーマを変えると助言を得づらくなり、自分ひとりの着眼点のみで論文を膨らませなければならなくなる。そうすると、内容が薄くなる。
そのため、1回生で揉まれ、2回生でなんとなく目途をつけ、3回生で一貫させるというのが、綺麗なルートとなる。
自分は、卒業論文完成に至るまで、何を積み上げていくのか。どこの地盤で、何を積み上げていくのか。それを、ひたすら教授含めた他者に伝え、自分の中でも確定させる。
ただし、ただしだ。どうせ人間だ。ひとつの分野で淡々とやれと言われても無理があるだろう。だから、引き続き、多様な関心を持つことは良いと思う。
こういった寄り道、余剰が、その人らしさというスパイスになって、考察や研究背景、本論の文体などに影響してきたりする。
4回生:愚痴を言わない。忍耐。鮮やかな景色が見えるまで。
3回生を終えるころまでに、「何をやるか」は確定させるべきだ。粗削りな問題設定が書けるくらいには、なっておいたほうがいい。
そして、4回生の前半(人によっては後半に食い込んで)、どういう論文構成で、話を進めていくのかを考えるべきだろう。
どういう問い方で、どういう方法なら、どういう論文を作ることができるのか。卒業論文の完成という目的には、自分の関心から、どのように到達できるのかを考える。
この時期から、本は構成という骨組みづくりのための「木材」になる。どういう話が、どういうデータがあるのか。これらをどう組み合わせれば、自分のしたい話の流れを作ることができるのか。
そして、大体の構成が完成したら、「この構成を成り立たせるためには、どういうデータや論を持ってくればいいのか」と考えていく。
まず骨組みとして、木組みのジャングルジムみたいなやつを完成させる。そして、このジャングルジムが、風(批判)に崩されないようにするためには、どのような補填を行えばいいのか。これを考える。本・調査が、「木材」である「補填材」である。
上記の作業は、優雅な読書生活や快活大学生ライフとは、かけ離れた地道な作業になる。ここで試されるのは、知的好奇心でも頭の良さでもなく、忍耐力である。しんどくても、頑張って向き合い続けるのだ。
そして、「こんなはずじゃなかった」と愚痴を言わない。当たり前だ。ここまででも分かるように、他者からの助言や本がなければ、論文は完成しない。自分ひとりで勝手に立てた想定が、通るわけがない。
良くも悪くも、論文執筆は共同作業だ。ひとりではできないし、ひとりよがりではできない。自分が、その分野でやると決めたことに責任を持ち、愚痴を言わず、淡々と向き合い続ける。
これじゃ、機械じゃないか。そうだ。君は卒業論文提出(あるいは最終発表)まで、研究に体を支配されたロボットである。少なくとも、そう思っておいた方がいい。
だが、(矛盾かもしれないが)どうしたって、僕らは人間である。さっきもいったが、どうしたって、淡々と書いた文章の端々に、1-4回生までで、生々しく積みあがった経験の臭いがこびりつくだろう。
研究ロボットになり果てても、見返してみればその人らしさが付着している。それが卒業論文の面白いところ。
そして、忍耐の果てに書き上げたら、少し休んで、読めていなかった「自分の研究とはあまり関係のない」本とかに手を伸ばしてみるといい。
マジで興味ない画家の展覧会とか、見もしなかった舞台とか映画とか、偶々卒業旅行で行く場所の歴史とかに、触れてみると良い。
多分、卒業論文書く前と比べて、不思議と感じ方が違う。
それを、友人と共有してみると良い。絶対に、話が合わない。そう。卒業論文を全力で書き上げた人同士は、絶妙に話が合わなくなる。
そして、その話の合わなさが、お互いの面白さにつながり、長く続く仲間意識に発展したりするだろう。
とりあえず
バーっと書いてきた。正直、序盤に何書いたかとか忘れたので、まとめることはできない。とりあえず、「こうだったらよかったな」「こうあるべきだったな」「こうだったな」を雑に書いてきた。
伝えたい教訓などはない。教訓を伝える人間は嫌いだ。人は、読んで、自分で考えて、自分で勝手に飲み込んで、生きていくだけである。
話した人の意図とは、全く違った風にとらえられることの方が、コミュニケーションでは多い、らしい。東浩紀が言ってた気がする。
そのため、この文章から学んでほしいことなどない。僕は伝えた。それしかできないから。あとは、祈る。すべての人に、実り多き学びと、健全な思考と、ささやかな幸福がありますように。
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