森鴎外著『二人の友』読書感想文
生きることにおいて"友人"とは一体どういう存在であるのか、そして、私の元に現れやがて去っていった(或いは私が去った)数々の友人達のことを思いながら本作を読んだ。
冒頭、鴎外とF君の出会いの描写では森鴎外という人間の、人を見る視線が緻密に描かれている。よく巷では"人は第一印象で八割決まる"などという文言が耳にされるが、ここでの鴎外は冷静だ。突然現れたF君を一旦は狂人呼ばわりするものの、F君のドイツ語の技量が本物であると分かると直ぐに自分の考えを改める。自分より一回り近く年下の若者に対して、偉ぶる様子もなく、一人の人間として接する態度に著者の器の大きさを感じた。そして、唐突なF君の申し出に対しても、"僥倖者に現金を渡さない"という原則を持ち、冷静に対応する著者は、『鶏』にて描かれていた著者の他者に対する態度と同様の、一貫した規範を持つ知的な人物として私の目には映った。
人が人と出会い、その距離が徐々に近づき、やがて友人と呼ぶに相応しい関係に変貌していく様子も見事に描かれている。初めはなんてことのなかった関係が、少しずつ同じ時間を共有し、やがてそこに親しみが生まれる、というのは私自身の経験にも重なるリアルなものだった。
F君は性欲を制するほどに勉学にのめり込み、そのエネルギーは著者にさえ向かう程の情熱を秘めている。著者がフランス語の稽古を始めた事に、露骨に嫉妬を表すF君と、気まずいと言いながらもまんざらでも無さそうな森鴎外、、。フランス語に嫉妬、、新しい、、。二人の関係には単なる友人関係を超えた、ホモソーシャルなものさえ感じた。
そして、私自身の友人関係がそうであったように、親密な友人関係というものはいつまでもは続かない。時間が経てば、人は立場も、価値観も変わっていく。二人の関係はかつての親密さ
を徐々に失っていく。あの頃の情熱は落ち着き、ふと電車の中で会えば言葉を交わす程度の関係になる。だが、それがほんの少しの言葉と時間であったとしても、その関係はかつての二人が燃やしていた情熱があったからこその関係であり、かつての関係と同じくらい豊かな友人関係であると私は思う。
唐突に現れたF君は、唐突に死ぬ。F君の死に対して著者は一切語らない。その無言の中に著者のF君への思いが溢れている様な、そんな気がした。