志賀直哉著『流行感冒』読書感想文
コロナ禍での生活の中、人の考えというものは人の数だけ存在し、そこには認知しきれない程のグラデーションがある事を改めて思い知らされた。新型ウイルスを恐れる事も、侮ることも、その人の考え方や価値観によって大きく異なる。そして普段は内に秘められた考え方や価値観が、行動や発言によって顔を覗かせた時、それは人間関係に大きく影響を与える。日頃あまり意識する事はないが、人間関係というものは本当に微妙なバランスで成り立っている。
流行病が一つのテーマである一方で、作中では様々な嘘が、言葉や態度によって描かれている。石は正面切って真顔で嘘をつくやべー奴であると同時に、自分の感情をあまり表に出さない人間である。或は、表に出していても他人にそれが上手く伝わらない。
そもそも、それが石ではなくても、言葉のニュアンスや受け取られ方なんてものは、話す相手との関係や状況によって、幾らでも変わるものである。ましてや作者から見る石である。彼女が本当に何を思い、何を考えているのかなんて、彼女以外には決して分からない。
ほんの些細な一面が、非日常によって暴かれた時、人間関係というものはいとも簡単に崩れ落ちてしまう。
それでも、堂々と真顔で嘘をつく神経を持ち合わせているかと思えば、家族が病気になれば一生懸命働き、恐ろしい芝居を見れば震えが止まらなくなる程臆病で、左枝子の悪口を言われれば本気で怒り、最後は振り向かず去って行く彼女は、とても魅力的に見えた。
人間には、"只良い人間"と、"只悪い人間"がいるのではなく、その人にとって、"良い人間である時"と、"悪い人間である時"があるだけなのではないかと思った。
物語終盤、一時は対立した2人の笑顔は、そんな、微妙で、ややこしくて、どこまでいってもめんどくさい人間関係というものを肯定してくれているようだった。
終始、殺伐とした雰囲気の物語だったが故に、そんな二人の笑顔は尚更際立っていた。
彼女にしか分からないはずの、本当の彼女の考えや思いが、分かる様な気がした。
人間が分かり合える瞬間が、二人の笑顔にはあった。
再会の喜びと、隠し切れない照れくささが混じった、素敵な笑顔だった。