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紫式部はシングルマザーのバリキャリ

仕事の繁忙期が終わり、やっとじっくり文章考えられる。。。

やっぱり古典文学のことを書くときは、背筋がピンとする気がする。

そもそも私が『源氏物語』に興味を持ち直したのは、紫式部の生涯を知ったからでした。

彼女の結婚は29歳。当時の寿命から考えればかなり遅かった。夫は45・46歳の藤原宣孝。

夫と書きましたが当時は一夫多妻制ですので、妻は紫式部だけではありませんでした。

父親の藤原為時が漢学者。
当時は男しか漢学者になれない時代、紫式部は父から弟と一緒に漢学の手ほどきを受け、弟よりも漢学の覚えが良かったので父親に「男の子なら良かったのに」と言わしめた才媛。

それなのに結婚が遅かったのは私にとっては意外でした。

と同時に親近感を覚えたのです。

あ、この人結婚で苦労したのかな?ひょっとして…と。

藤原道隆の娘定子が14歳で、藤原道長の娘彰子が12歳で一条天皇に入内したことを考えるとその晩婚さが分かると思います。

しかも相手は結構歳上。

実は紫式部の青春時代に、父親の藤原為時は10年間無職の時代がありました。
受領階級(中流階級)なのですが、任地が与えられなかったのです。

紫式部の婚期が遅れたのは、父親の無職時代も影響しているのかも…と言われています。
いつの時代もお金持ちの子どもがモテるのです😢

宣孝との間に女の子が1人生まれますが、結婚生活は3年と短いものでした。
宣孝は流行り病に倒れて亡くなってしまいます。

夫の死後に幼子を抱えて1人、紫式部は『源氏物語』を書き始めたと言われています。(※諸説あります。)

その『源氏物語』が評判になり、藤原道長が娘彰子の女房(女性の召使い兼家庭教師)としてスカウトして、34歳ごろ宮仕えが始まったそう。

彼女は華やかな後宮の世界に入ったのでした。
今で言うと紫式部はシングルマザーのワーママであり、バリキャリでした。

34歳。
いくつかの恋愛をして、働き始めて何年か経過して色んなことが見えてくる。
人生は思い通りにいかない…と。

『源氏物語』って聞くと、難しいと思うかもしれない。
光源氏が女に手を出しまくる話でしょ?と。
(あながち間違いではないけど。。。)

たしかに読むのは簡単ではない。登場人物も多いし。
けれど、そこには男は女に振り回され、女は男に振り回される人間模様が描かれています。
だからこそ、恋に仕事に人生経験を積んだ30代に読んでもらいたいと思い、このnoteを始めます。

紫式部を、ひいては平安時代の女性の生き方と向き合っていけたらいいな😊
きっと今を生きる私たちと通じるところがある。
私はそう、信じています。

#平安時代 #古典女子 #婚活 #シングルマザー #紫式部

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