「ありがとう」が嬉しいのは自分の自信のなさからだった。


昨日の投稿から私が「ありがとう」という言葉にしがみつく理由を考えている。

今の職場はありがたいことに「ありがとう」の言葉が溢れている。上司がまず発してくれる。

伝票提出したら「ありがとう」。ホチキスを貸したら「ありがとう」。会議室予約したら「ありがとう」。書類受け取ったら「ありがとう」。

小さな瞬間にも「ありがとう」があるので、ほっとする。会社で働くのは給与が発生してるからお仕事をするのは当たり前と言えば当たり前なんだけど、そこに感謝があるのは嬉しい。

メールも「返信ありがとうございます。」「ご提出ありがとうございます。」となるべく入れるようにしている。私が言われたい性格だからだ。

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『ありがとう』も最後に一回言えば伝わる人間には伝わんねん。伝わらんやつは、どうでもええ。

そう言われた事がある。「ありがとう」を出し惜しみする人。

一体そういう人は、自分の奥さんにはどこで感謝を伝えるのだろう?臨終の時?(笑)

明日もしかしたら大事な人に会えなくなるかもしれないのに、普段から感謝を伝えないで後悔したりしないのだろうか。

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とは言え、自分でも事あるごとに「ありがとう」って言い過ぎだなぁと思う時もある。

自分がいらちなのはわかっているので、それを隠すようにへらへら会社では笑っている。

同僚にトイレで「悩みが無さそうで、いいわねぇ」とイヤミを言われたこともある。飲み会では、「いつも楽しそう」とも言われた。

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私の中には鬼がいる。

(どなたかのnoteでは「懐かない猛獣」と表現されている方がいたのだけど、該当noteが見つけられず。。。言い得て妙だと思った。)

その「鬼」は、お腹空いたと気に入らない事があれば机蹴っ飛ばしそうなほどすぐ暴れ出したり、かと言えば「ブス」と言われたら大泣きしたり、とにかく振れ幅が半端ない。

もう1人の「善人の私」がそれを「いい子だねぇいい子だねぇ」とあやしたりするのだが、生理などの体調が悪い時、「善人の私」も弱まってしまう。そして「鬼」が表に出てくる。

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『源氏物語』に出てくるヒロインの1人、六条御息所は生き霊になって光源氏の愛人夕顔や、正妻葵の上を取り憑いて殺したことで有名だけど、今でも人気があるのはそれだけ共感する人たちが多いということだと思う。

制御できない「鬼」。

大人になればうまく飼い慣らせると思ってた。なのに、今だに私はうまく飼い慣らすことができない。ただただ歳を取っていくだけだ。

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故に、「善人の私」は私の行動に自信がない。「これでいいの?」「この言葉であってる?」「お節介だったかな?」「余計なことしちゃったかな?」

常に疑心暗鬼の中にいる。

だから、「ありがとう」は自分の行動が相手に受け入れられた確認なのだと思う。

「良かったのね」「これやって正解だったのね」と「善人の私」が小躍りする。こうやって成長してパワーチャージして「鬼」を押さえつける事ができる。

私の鬼退治はまだまだできそうにないけど、「善人の私」を太く逞しくしていきたい。

だから、大事な時に一回「ありがとう」を言ってくる人よりも、「ありがとう」の連打ボタンを押してくれる人の方が私は向いている。そういう人を大事にしたい。

もし普段あまり感謝の言葉口に出してないなぁと思う人がいたら、ぜひぜひ家族・恋人・友人・同僚に積極的に使っていってほしい。その人の「善人の私」が大喜びするから。

今日も私は怯えながら生きていく。そんな時に「ありがとう」が聞けたら、私はちょっとだけ前を向いて生きていける。

お天道様は眩しいが、「鬼」がいる私もここにいていいんだと思えるようになりたい。

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