物語のヒロインにはなれない
今日は誰にも会わないゆっくりデイ。
午前中までゆっくり家で過ごして、午後はカフェに行って読書。眠くなってお家に帰ってまた寝てもうこんな時間。。。
この前久しぶりに漫画喫茶に行った時、ふと目についた『猫のお寺の知恩さん』を読んだ。
両親と離れて親戚のお寺に下宿して高校に通うことになった源と、そのお寺の娘の知恩さんのお話。
好きな女のためなら、男は自分の人生の進路すら変えるのね、とこじらせた女子は思ってしまった。
だいぶ羨ましい(笑)
お寺のおばあちゃんが日常の中で源に落とす言葉が時々あるのだけど、それがとても心地よい。
源は高校から部活で剣道を始めるのだけど、1年生では試合に出られない。
練習を重ねてやっと出られることになるのだけど、同期の男の子は試合に出られず部活を辞めてしまう。
台所で料理をしながら源がおばあちゃんにそのことを話していた時に、おばあちゃんが言った言葉。
「どんなに良い人間でも、きちんと頑張っていれば、誰かの物語では悪役になる。」
話は変わるが、私はスポーツ観戦が苦手である。
父がテレビで野球観戦をする際、自分の好きなチームが負けると口汚く罵っていたのを見てきたせいもあるが、
何より誰かの勝ちを祈ることは誰かの負けを祈ることだと思っていたから。
だからおばあちゃんの話は腑に落ちた。
アクション映画を見るのも苦手だ。
アクション映画の主人公はなぜか銃弾の雨の中でも生きのびるのに、敵の下っ端は主人公の銃弾であっさりと死ぬ。
もし私にその映画の配役で役が与えられるとしたら、なんとなく私は脇役であっさり死ぬ方だと昔から思っていた。
物語の主人公にはなれない。
中肉中背で顔も平凡な私が、友人と好きな人が重なったらあっさりと諦めた。私が選ばれる訳がない、と。
ずっと家族に憧れるのは、そんな何者でもない私が夫となる人の一番になれるからだし、子どもの「母親」と唯一無二の存在となれるからである。
重い…重すぎる。
異性の友達が少ないのは、相手の人生の登場人物のうちの一人になることにあまり興味がないんだろう。知らんけど。
どうせなら相手の物語の主要人物になりたい。
でもほんとは、父親だろうが母親だろうが恋人だろうが息子娘だろうが自分の人生の登場人物の一人にしか過ぎないし私は私の物語を生きている。
夫の一番になれるとは限らないことも分かっている。
だけど実際は不安で…不安だからこそ恋に走るんだろうな。恋愛中は相手のことしか見えないし、考えないから。
子どもだって一人の人間で、彼・彼女の人生を生きるのに。
私は彼らの人生を尊重できるのだろうか。
負けるのは私、ずっとそう思っている。けれど、別に私だって勝ちたいんじゃない。こんな私だって尊重されたい。生きててもいいんだよって。
相手も癒され自分も癒される、そんな居心地のいい居場所がほしい。
そんな場所ができると信じて、今は動くしかない。誰かのヒロインになれますように。