僕は美味しいものが食べたい
ベトナムの飯が美味い。安くて美味い。
もうこれだけで最高だ。
ふと、今まで食ったものの中で、何が一番美味かったか考えてみた。色々食ってきたけど、とりあえず3つあげるとしよう。
まず、母が作った唐揚げ。これはもう、ヤバい。あれはどうやっても超えられない味。実家の飯が美味い。これ以上の幸せがあるだろうか?
次に、ベルギーで食べたワッフル。ベルギーには2種類のワッフルがある。
ひとつは、
リエージュ風ワッフル。
丸くて、外はカリカリ、中はモチモチ。日本で食べることができる。マネケンやつが有名だ。
もうひとつは、
ブリュッセル風ワッフル。
四角くて、甘さ控えめ。軽くてサクサク。クリームとかトッピングして食べるのが定番だ。日本ではあまり見かけないけど、このブリュッセル風がヤバかった。焼き立てのカリカリ感、ほんのりとした甘い香り。
上品な味で、初めての海外旅行で食べ物に心の底から感動した瞬間だった。
最後は、高知で食べたウツボの唐揚げ。魚とは思えないぐらい、肉々しくて驚いた。そもそもあの怪物じみた見た目のウツボ食べれることすら知らなかった。
出張で高知に行って、地元の居酒屋に入ったら、酔っぱらった高知のオッサンたちが、僕を歓迎して酒を奢ってくれた。酔っ払いからのアルハラだけど、嬉しいアルハラだった。その時に勧められたのが、ウツボの唐揚げ。高知の人たちは温かい。僕にとって忘れられない味だ。
で、ふと思う。東京なら、世界中の美味いものが何でも食えるっていう話。まあ、金をかければってことだが。
でも、いくら金を握りしめて東京の街を歩いても、母の唐揚げは食えないし、ベルギー風ワッフルは結局、本物じゃなくて模倣品だろう。高知の喧騒の中で、ウツボに齧りつくこともできやしない。
食ってのは、ただの味じゃない。そこに至るまでの過程や、その場の雰囲気、外的な要因が絡み合って、味の記憶を作る。
だから、僕がベトナムに来た観光客に絶対に食べてほしいものがある。それが、ドラゴンフルーツだ。
日本でもスーパーで買えるけど、たぶん食べたことがある人は「薄っぺらい味だな」って思うだろう。それもそのはず、日本で売ってるのは、熟してないやつなんだ。
完熟のドラゴンフルーツは甘い。
信じられないくらい、濃厚な甘さ。
問題は、熟したドラゴンフルーツはすぐに傷んでしまうから、日本まで輸入できないってことだ。
だから、日本で食べられるのは未熟なものばかり。
バナナやマンゴーは収穫後も熟すけれど、
ドラゴンフルーツは違う。収穫された時点で、それがもう最終形態だ。追熟しない。
だから、日本では完熟のやつは手に入らない。だが、ベトナムでは1個100円しないぐらいで買える。日本ではいくら金を積んでも買えないものが、ここではその辺の露店で簡単に手に入る。
つまりだ、美味いものを食うために必要なのは、金じゃない。
知識と行動だ。どんなに高級なレストランだって、必ずしも本当に美味いものを出すとは限らない。
足を動かして、自分で探し出さなければならない。本当に美味いものは、資本主義のシステムに囚われていない。美味いものを求めるのは、動物としての基本だ。忘れてはならない。