世間の期待を捨てストレス社会を突破する
脱サラついでに日本からも逃げ出して、
今ベトナムで生きている。
高校、大学と出て、まあ普通に就職して、誰が見ても「模範的」な道を歩いていた。
親に言わせれば、なんのケチもつけようがない進路だったんだろう。
だけど、僕は引かれたレールからあっさりと脱線してしまった。 まあ、なるべくしてなったんだなと思う。
僕の親はしっかりした人で、僕をきちんと育ててくれた。その通りに僕も進学して就職したわけで、それに疑問を持つ理由なんて、その頃はまるでなかった。
で、サラリーマンをこなしてたわけだけど、20代も半ばを過ぎた頃に「これでいいのか?」ってようやく物心がついた。
刺激が足りねぇって感じだった。
それに気づいたら、
もうその一心で動くしかなくなった。
酒を浴びるように飲み始めた。
一人で場末の飲み屋に通って、常連の酒豪の爺さん達と一緒に深酒してた。
深夜4時に、急性アルコール中毒ギリギリまで飲んで、フラフラになりながら家に帰る――それが当時の僕にとって唯一の喜びだった。
人生がつまらなくてしょうがなかったんだと思う。アルコールだけじゃ現実逃避しきれなくて、他にもいろいろ試した。現実と酩酊の境界がだんだん曖昧になって、メンタルはガタガタになってた。
それでも僕の体は頑丈で、なんとか仕事はこなせていた。いや、こなすっていうか、そこそこ手を抜いてたけど、バレない程度にはやっていた。それでも、全力でやってる同僚と同じくらいの評価をもらってたんだから、
まぁうまくやれてたわけだと思う。
でも、そんな世間からの評価と、自分の中での感覚がどんどんズレていって、希死念慮がひどくなる。 日本人としてちゃんと評価されている――でもそれは、自分に嘘をついてるからだ。
「評価なんか、クソ食らえだ」と、ある日、ついに吹っ切れた。
僕が自由に生きられない社会でなんて、もう生きていけない。20代から30代までの死因の1位が自殺だって? そんな社会、クソ食らえだ! 壊せないなら逃げ出してやる。
僕は駄々をこね始めた。
それで、親に頭を下げて「今までありがとう」と言い、上司にも「お世話になりました」と言いに行った。社会はクソだけど、俺の周りの人たちは本当に素晴らしい人ばかりだったんだよ。だからこそ、日本社会はその人たちの善意にぶら下がっている。
人と社会は、違う。
で、1年間かけてじっくり準備して、ついに日本を脱出した。大口を叩こうがビビリなのでしっかり準備した。
おしゃれなFIREとかじゃない、資金なんてない。今の手取りと物価じゃ、そんなものは無理だ。だったら物価の安い国に行けばいい。仕事は現地で探せばいい。今はネットがあるし、なんとかなるだろう――そんな気持ちでベトナムにやってきた。日本で僕は一度死んで、ここで第二の人生が始まった。
ベトナムに来て2ヶ月目、安いけど仕事は見つかった。営業代行みたいな仕事で、YouTubeを見ながら片手間にできる。それで手取り7万円。
家賃が2万ちょっと、食費は贅沢しても月2万円程度。あれこれ払ってもまだお金が余るし、時間も余る。だから、勉強も始めたし、何か新しい事業でも起こそうかって考えてる。
今は酒もほどほどにしか飲まない。そんな暇じゃない。サラリーマン時代よりも、今のほうがずっと健全だ。世間的には「落伍者」ってやつかもしれないけど、僕は確実に健全性を取り戻した。
日本で働きながら健全さを失っていく人は、たくさんいるだろう。でも、人間性を喪失したら、それはもう取り返しがつかない。
盲目的になると、大切なものを簡単に見失う。だから、もし違和感を感じたら、レールから脱線する勇気を持ってほしいと思うと心から思う。
凡庸な日常からささやかな幸せを感じる。それが日本の美徳だなんて言われてる。凡庸な日々ってのは無味無臭の毒物だ。日常がわざわざ苦痛にまみれている必要なんかない。
現状にうんざりしてるなら、さっさとその現状をぶっ壊すことに力を注いだほうがいい。手段はいくらでもある。今の地位や常識を放棄する勇気さえ持てば、どうにでもなるものだ。人間なんて案外簡単に新しい何かを掴み取れるもんだと僕は思っている。